若いウグイスが鳴く練習をしています。暖かい一日になりそうです。

今日も私のブログご覧になっていただき、ありがとうございます。

いよいよソビエトに入り、ユーラシア大陸をシベリア鉄道で東へ東へ戻ります。

日記も残り少なくなりました。最後までご覧ください。

 

1987年(昭和62年)4月16日(木) モスクワ→イルクーツク

 

 シベリア鉄道は昼過ぎの2時発だから、12時のチェックアウトまでゆっくりしていた。セルフサービスの朝食は今一つ。どうしても新鮮な野菜や果物が少ない。とても美人なおねえさん(たぶんロシア人)二人が、下手な英語を使って朝食のタダ食いしようとしていた。

 外貨しか使えない売店でちょっとしたお土産を買い、部屋に戻ってシャワーを浴びた。これからしばらくは入浴できないから。

 荷造りして午後1時にはロビーで待つ。ここのインツーリストで鉄道のチケットだけでなく、日本までの船の切符も手配してもらう。船室のクラスのことで、夫と口論になりそうだったが途中でやめる。駅まではタクシーだった。あぁ、もったいない。
 

 駅は東の方へ行くヤロスラブスキー駅で、出発まで時間があったから構内をうろうろする。屋根のついているところは禁煙で、たいていみんなよく守っている。お昼のお弁当を買い込んで乗った。
 列車は一般人と外国人が隔離されているかと思えば、全く一緒。4人のコンパートメントで2等だ。1等は二人部屋。20両ぐらい繋がっていて、長い列車の一番前だった。
 ビジネスマンらしき二人と一緒になった。ヤロスラブスキーまでは2,3時間で着いた。同じような景色が続く。葉のついていない白樺の並木に針葉樹のもみの木がが混じっていて、民家もけっこう多い。まだモスクワ近郊だ。雪が溶けかけて、今まで隠されていたごみが見えたりしている。白銀の世界がきれいだったかもしれない。ベッドは備え付けたままだから、いつ横になってもいい。
 食事は食堂車もあったけど、各列車の車掌さんが持ってきてくれた。出前だ。それから中国のようにいつでもお湯がもらえるところがいい。ティーバッグやインスタントがあるから紅茶もコーヒーも好きなだけ飲める。
 

 とある駅でビジネスマンのうちの一人が降りて、田舎風のおじさんが乗ってきた。二人でウォッカをあおっている。少し飲ませてもらったが、なかなか度が強い。流し込むようにして飲んだ。私の向かい側になったビジネスマンのお兄さんは紳士的だがちょっと体臭がきつい。停車して換気装置が止まると息苦しかった。今日はまだ1泊目、あと2泊まる3日間乗り続ける。
〈列車内泊〉