1987年(昭和62年)3月25日(水) ローマ

 

 今日まで夫は動けないだろうと思っていたら、今朝は夫の熱がすっかり下がって、起きるなりローマへ発とうという。熱が下がったばかりでちょっと心配だったが、本人はトーマスクックでフィレンチェ発ローマ行きの時刻を調べている。大急ぎで荷造りした。
 

 足りなくなった薬を買って、チェックアウトする。切符は早めに駅へ行って窓口で買うことにした。珍しさもあってTEEで行く。日本の新幹線のように早くはないが、特急で1等のみ全席指定だ。料金が安いと思ったら、指定席料を列車内でとられるということだった。昼食にピッツァなどを買って乗り込んだ。

 列車はしゃれたデザインで、ピッカピカのガラガラ。誰もいないコンパートメントを二人で独占しはしゃいだ。豪華だった。ローマまで2時間余りで着いた。ガイドブックを読んだり、カプチーノを飲んだりするうちに着いた。ピサまでの夜行列車と違って、もっと乗っていたかったくらいだ。
 

 駅でインフォメーションセンターを捜すがない。そのかわり客引きがうじゃうじゃいた。インド並みだ。疑って客引きの話はほとんど聞かなかったが、地図をもらった。一応紹介してくれたホテルは駅近いが雰囲気よくないからヤメ。リクルートのガイドブックについていたスペイン広場の方へ行く。が、歩いては行けないしタクシーは高そうなので、頑張ってバスで行く。インフォメーションで番号を聞き、チケットを買って広いバススタンドの端に目指す番号のバスが来た。走る、夫はちょっときつそう。

 スペイン広場は店が並びにぎやかだから、車の通らない通りを物色。スペイン階段の上は裏が公園らしく静かそうだ。まず、小さな通りの中級ホテルは満室。それでシスティーナ通りのリクルートに書いてあったホテルに行くと51000リラで夜9時にしか空かない。

 もう一つ上のホテルは幸い空いていたが60000リラもした。日本のビジネスホテル並み。ロンドンのB&Bくらいだ。でも部屋は通りの反対で静かだし、夫は他をあたる気力もなさそうだ。そこに決めた。※当時のレート 1リラ≒0.12円
 

 やっぱりコンセントが合わず、湯が沸かせなかったが、水はおいしい。シャワーだけだが、お湯もたっぷり出る。今日は無理せずこれで終わり。観光は明日からにする。ツアーガイドよろしく、しっかり下調べした。だってここローマでゆっくりできるのは3泊のうち中2日のみ。27日はバチカンに入れないらしいから、あしたさっそく行くぞー!

 シャワーを浴びてスペイン階段を下りた。若者やツーリストがたむろしている。高級店が並ぶコンドッティ通りをぶらぶら歩いて、レストランを捜すが早すぎるのかどこも閉まっている。やっと見つけてミネストローネを食べた。〈Hotel Venier〉