1987年(昭和62年)3月22日(日) フィレンチェ

 

 夫は高熱のため、私は不安と息苦しさで、朝方まで眠れなかった。土曜の夜だからか、遅くまで車の音と人の声がしていた。窓のすぐ下の通りは、けっこう狭いのに交通量が多く車はみんなよく飛ばす。建物が石造りなので余計に音が響く。

 この街は「花の都」と呼ばれているが、車の量が多く路上駐車した車で道幅はぎりぎり。観光客はのんびり歩いていられない。交通規制すればいいと思う。マドリッド以来ずっと下町に宿をとっている。郊外の静かな宿だったら、今度は交通の便が悪い。高級ホテルなら街中でも騒音がシャットアウトするだろうけど。
 

 窓のすぐ下をけたたましくサイレンを鳴らして救急車やパトカーが通り過ぎると、どこかへ逃げ出したい衝動に駆られる。マドリッド1泊目のあの音で、相当神経が参ったらしい。ひたすらぼんやりして外の音を聞いているうち、うつらうつらし始めた。夫は高熱だからか熟睡せず、頻繁に寝返りを打つ。夢を見た時、なぜか私の波長と夫の波長が一緒になったようで妙な感じだった。明け方になってやっと通り過ぎる車の音が少なくなった。
 

 今日はウフィツィ美術館に行こうと早起きするつもりで、目覚ましをかけていた。夫が8時ごろ私を起こしたが起きれず、目覚ましをかけた10時5分前に起きた。夫は反対に眠っていた。午前中は不思議なくらい静かだ。日曜日の美術館は午後1時で閉まるから、急いで出かける。午前11時だった。

 入り口はすでに観光客で一杯。入ってすぐ、ボッティチェリの「受胎告知」があった。美しい、なんて美しいのだろう!感動で鼻がツンとした。それからは番号順に展示室を周る。マルティーニの「聖告」は気づかず見逃した。ここでの圧巻はなんといってもボッティチェリ。「春」を目の前にして私の気持ちまで春になる。女性の何と美しいことか、踊る三人の透明な衣が、絹のように体の廻りを揺れている。
 それにも増して「ビーナスの誕生」のビーナスは、この世の美を集めて、これ以上は表現できないだろうというう美だった。肌の透明感、たっぷりとしてカールした金髪、まだ恥ずかしさとか汚れを知らない純粋無垢な顔、満ち足りて穏やかな表情。モナリザが美しいというが、私はこのビーナスがこの世で一番美しいと思う。白雪姫ではないか…。写実的な遠近法を使ったレオナルド・ダ・ビンチ、額絵のミケランジェロ、そして聖母子のラファエロの影が薄くなるほど、ボッティチェリに打たれた。
 

 美術館ガイドを見ながら興奮して部屋に戻ると、夫の熱が下がっていない。私がマドリッドでもらった痛み止めは解熱剤にもなるから、それを8時間おきに使う。でも熱は一時的に下がるのみ。汗をかいた下着を代えてやるだけで、何もできない。やはり病院に行った方がいいだろうけれど、今日は日曜日なので明日まで様子を見ることにした。
 

 夕方気分転換に散歩に出た。ベッキオ橋からピッティ宮殿、ボーボリ庭園まで。ピッティ宮殿には入れず、一人公園を歩てもつまらなくなってきた。日曜日で閉まっている店のショーウィンドウを見ながら、陽が沈む前に帰る。
 昼食にピザやサンドウィッチを買って帰ったのに、夫は何も食べていない。食べたのはアイスクリームとチョコレートとオレンジを少しずつ。私は心配でこっちまで食欲を失くす。

 しかし、ここは私がしっかりしなくちゃと思い直す。Barでカフェ・オーレをポットに入れてもらうつもりが、カップで出てきた。やっぱりイタリア語も少しは覚えなくては…。早く夫の熱が下がるよう、私は祈るしかなかった。〈Hotel Nettuno〉