1987年(昭和62年)3月21日(土) フィレンチェ
今日はフィレンツェの観光。私の好きなルネッサンス期の作品など見どころがたくさんあって困るほど。ガイドブックによると第3土曜日は無料になるところがあるらしく、そこを先に行くことにした。
まずはメディチ家ゆかりの名所。サン・ロレンツォ広場辺りは、露店の市が立ち観光客などでごった返していた。教会の裏にある礼拝堂はしっかり4350リラの入場料をとられた。やっぱりガイドブックは当てにならない。ミケランジェロの作った墓を見たが、どうも首が長すぎてそううまいとは思わなかった。
そこを出てメディチ家の居館のそばを通り、サンマルコ修道院へ。今は美術館になっていて、あの有名なフラ・アンジェリコの受胎告知があるところだ。各修道僧の部屋ごとに彼のフレスコ画があった。どれも透明感があっていい。が、受胎告知に関しては、マドリッドのプラド美術館で見たものが断然よかった。あれは本物だったのだろうか。
ガイドブックから得たつけ刃の知識で、サボナローラの作品を探すがない。おかしいなと思ったら、彼は狂信的になり最後は火あぶりの刑で死んだ宗教者だとわかった。どうりで。
それからさらに、ダビデ像のあるアカデミア美術館に行く。閉館が2時なので、少々焦った。ミケランジェロのダビデ像は私のあこがれ。これを見るためにフィレンツェに来たと言っても過言ではない。大きなものであるとは知っていたが、目の前で本物を(コピーはロンドンのビクトリア&アルバート美術館にもあった)見るとやはり感動が違う。吸いつけられるように見た。どの角度から見てもいい。やや手が長くて大きすぎるような気もするが、そう気にならない。
周りでスケッチしている人たちがいた。私も描きたい衝動にかられたが、このメモ帳とボールペンしか持っていない。この際何でもいい、私の目の前にあるこの素晴らしい作品を何とかして写しとり持って帰りたかった。
夫は早く出たがっていたが、30分の猶予をもらう。夢中で描いていると時間を忘れ時計を見ると30分を過ぎていた。あわてて外へ出ると夫は怒っていた。時を忘れるほど感動した私の気持ちを分かってほしかったけれど、約束を守らなかった私が悪い。セルフサービスの店で昼食をとっているうち機嫌を直してくれた。
今日の観光の最後はドゥオモ。ピンクとグリーンと白の石でできている。確かに素晴らしいが、私は白の大理石に美しく象嵌されたタージマハールの方が好きだ。夫はやや男性的なブルーモスクが好きらしい。中に入れるのは2時半からなので、周りをまわったり前の広場で休んだりして待つ。
ガイドブックによるとドゥオモの中にもミケランジェロのピエタがあるらしい。が、見つからない。その隣のサンジョバンニ礼拝堂にも入れたが、ドナテロの「マグダラのマリア」はなかった。貸し出し中?ここの周りのギベルティによる銅の扉はさっと見ただけ。レリーフは彫刻に比べると迫力ないなぁ。夫は最後の方は疲れていた様子。これまでの私たちの観光ペース(一日に1か所)に比べたら、かなり急ぎ足で回ったから。
明日が日曜日なので、お金が気になり駅の銀行で両替。土曜日の午後も開いているのはここだけだから、長い行列ができていた。順番が来るまで30分ぐらいかかった。それからホテルに戻りゆっくりする。
お昼のセルフサービスの店では二人で17000リラと結構お金がかかったから、夕食はメンザで済ませようということに。駅裏を捜しまわってやっと見つけたら閉まっていて、駅周辺のトラットリアに入る。ここにはピザ用の窯があった。さっそくピザを注文。
ところがいつまで待っても出てこない。私たちの後から入ってきた日本人カップルはすでに食べているのに…。ボーイに言うと分かってくれて、しばらくしたらやっと出てきた。私は腹が立ちイライラした。夫が「怒るな、怒るな」と言ったが、なんだか急に食欲を失くしてしまった。夫はホテルに戻るなり寒いと言ってすぐ横になった。熱を測ったら39度近くあってびっくり。どうしたというのだろう。〈Hotel Nettuno〉