1986年(昭和61年)9月25日(木) クラマティ
夫はここ2、3日海外旅行する前のウキウキする気分だという。実際はずっと海外旅行しているわけだが、中級以下のホテルに泊まり食事もふつうのもので旅行そのものが日常になっていた。
そんな時今回のモルディブ旅行はホテルの予約はとってあるし、3食フルボードで一日40ドルという、私たちにとっては贅沢な一週間になる。そこにいる間は一日中泳いだりダイビングをしたりぼんやりするという、正しい休養・レジャーが目的。これまでが仏跡めぐりという義務感があったので、だからこその楽しみなのだ。
ゆっくりするつもりのスリランカはモンスーン期で華やかさがなく、気候の良い東北海岸は内戦で行けなかった。タンガラには結構長くいたがいろいろ病気にかかったりした。テラワーダ仏教の遺跡ではあるがキャンディやポロンナルワが私たちの最後の仏跡めぐりとなった。
さてスリランカ最後の日も一日中あわただしく、そして長かった。早めに起きて荷造りし、朝食後9時過ぎにはフォートに向かった。まずは古い建物の中にある国営の紅茶販売所で100g入りの紅茶の葉を二つ買い、実家に送るフィルムの詰めもの代わりにした。GPOでフィルムを入れるのに缶は必要ないのではと言われたが、無理に頼んでそのまま厚手の封筒に入れて終わり。インドやネパールのように布で包む必要がなかったから、思ったより早く済んだ。
それから夫のTシャツや、水着、バティックを買った。計算違いでモルディブにも持っていく食料品などにお金がかかり、空港までの交通費50ルピーを残すと昼食代も残らない。YWCAのおばさんに2ルピー寄付してといわれたが1.5ルピーしかなかった。
空港行のバスはなんと一人5ルピーだった。この国に着いた時の12分の1だ。いかにぼられたかがわかる。空港までのバスに警官が乗ってきたり、ターミナルビルに入るのにもチケットを見せたりとものものしい警戒ぶり。数か月前にタミル系のテロリストがモルディブのマーレ行き飛行機に爆弾を仕掛け爆破してたくさんの犠牲者が出たばかりだからだ。私たちはそれと同じ便に乗る。しつこいぐらい何度もあるチェックは面倒だが、飛行機に爆弾を仕掛けられるよりはいい。
無事に出国を済ませて免税店でウイスキーとたばこを買う。空港までのバスで残ったスリランカルピーを使ってしまうため何か買えるかと思ったら、市価の2倍ぐらい高いチョコレートとキャンディぐらいしか買えなかった。モルディブ行きの飛行機の乗客は観光のために行く外国人がほとんど。バックパッカーより1クラス上のスーツケースを持った人たちばかりだった。2,3日前に出たという感じの日本人もいた。フライトは予定より15分程度遅れて出発し1時間15分でモルディブマーレの近くの島に着陸した。
マーレ近くになると美しい環礁のある小島が見えた。波は荒いがリーフでいったん遮られ、島の周りは白い砂浜にプールのような淡いブルーの浅瀬が続く。あぁ早く泳ぎたい、潜りたい!
気は焦るのに、マーレの空港では税関の特別検査があった。これまでで初めて荷物を徹底的に調べられた。それこそ生理ナプキンやら下着入れまで。私がやっとパスしたと思ったら、今度は夫。まずウイスキーを取り上げられた。イスラム教国だからだ。でもみんな結構買っていたのに、ひっかかったのは団体客ではない個人旅行者だからだろう。
当たり前だが何も違法なものはなく無事入国。たくさんの客引きの中に私たちの名前を知っている人がいた。テレックスで打ってもらった通りの内容が書いてある文書を持っている。
その人はたぶん私たちの契約したエージェントの人だと思うが、帰りのマーレ→トリバンドラムのチケットのリコンファームをするからエアチケットとパスポートを預けろという。マドラスやコロンボのことがあるから、もし渡して返ってこなかったら大変なことになるだろう。だから私たちはかなりごねた。同じ船に乗る毛唐たちもごねていた。でも不安に思いながら結局両方預けてクラマティ行きボートに飛び乗った。

ホテルのあるクラマティまで2時間ぐらいで着くと思いきや、なんと4時間半かかった。途中外洋へ出て波が荒くなり、揺れること揺れること!私は早めに横になっていたからそれほど酔わなかったが、同行の毛唐カップルは姿勢正しく座ったまま。よく船酔いしないものだと感心した。
島は欧米系ホテルが経営しているリゾート地で別天地だった!たくさんの外国人がバーや娯楽場で楽しんでいる。洋画でも見ているようだ。私たちは食事してすぐに部屋へ。やっと落ち着いたのは夜中の1時過ぎだった。〈Kuramathi Resort Island〉