1986年(昭和61年)8月25日(月) ボパール→マドラス(チェンナイ)

 

 今日もまた4時起きだ。切符を買っているから乗り遅れてはいけないと、ドキッとして起きる。だいたいそういう時は起きる4時前だ。列車に乗ったらまた眠れると言い訳しながら起きる。
 チェックアウトの支払いが気になっていたが、マネージャーはしっかり起きて2ルピーのお釣りもくれた。インド人にしては珍しくきちんとしている。
 駅は朝早いのにけっこう人がいた。5時10分発マドラス行きを待つ。10分ほど遅れてくる。切符には車両ナンバーが書いていなかった。駅員に聞くと、11両辺りで待てと言われ11両目に乗りこんだ。8番も33番も空いていた。34番の人を起こして代わってくれと頼んだら後でと言われた。そりゃそうだろう、朝の5時に起こされ場所を代われとは失礼なことに違いない。しかも、8時過ぎてコンダクターに聞いたら、車両を間違っていた。いやぁ、すまん、すまん…とろくに謝らずじまいだった。


 さて、マドラスまで時間がいっぱいある。暇だからNAGPURという駅から乗って来た家族連れを観察する。女の子3人に男の子1人に夫婦、奥さんのお母さんと親戚らしき大人何人かという大所帯。なんせ荷物が多く炊事道具一式揃っている。引っ越しか何かのようだ。

 大きい子は中学生ぐらいで、一番下はまだ1歳にもなっていない。一番上の女の子がよく下の子の面倒を見る。それとお父さん。かいがいしく立ち働くさまは立派だ。子どもも奥さんもそんなお父さんを尊敬するだろうなぁと思った。それに比べて我がダンナは…といえば場所を取って行儀悪く座り、やれチャイだコーヒーだと言う。
 中国の列車より汚いが、飲み食いする分は不自由しない。次から次に物売りが来るし、乞食さんも多い。だから小銭がすっかりなくなった。75パイサのコーヒーのお釣りもしっかりもらう。食べ物を要求する乞食さんはやりやすい。なんせ私は最近少食になって、食べ物にあまり執着しなくなった。しかし、水だけは用心していたがハイデラバードの手前のKAJIPETという駅で飲んだアップルジュースはおいしかった!
 今朝からずっとデカン高原の似たような風景で外も見飽きた。夕食の弁当を9時近くなって食べ、食べ終わったらすぐベッドを作って10時半ごろには寝た。窓を閉めて少し暑かったが、扇風機を回しっぱなしにして、ちょうどよかった。〈2等寝台列車内泊〉