1986年(昭和61年)7月22日(火) デリー

 

 夫がAmexカードの更新と送金の件でひとり出かけた。私は部屋でゆっくりすることにした。まずは昨日もらった手紙の返事を書く。ハガキから取り掛かったが、短い文章も案外難しい。つい長くなってしまうのだ。ひっかかると先へ進まない。昼過ぎて一番暑い時に停電し、扇風機も回らない。つい、「暑い、暑い」を連発してしまった。言っても仕方ないことなのに。
 それから昨日買った服の補正をする。暑くてうっとうしいのでスカート丈、着丈、袖丈みんな上げて短くした。それから兄の送ってくれた「Focus]などの雑誌を読む。朝から夫が買ってきてくれた卵入りチャパティとチャイ、パイナップルジュースだけで何も口にしていなかった。夕方になってようやく重い腰をあげたら、なんかフラフラした。暑いからあまり食欲なく食べなかったら、栄養不足で病気してしまう。気を付けよう。結局今日はハガキ5通、エアログラム1通、手紙1通書いた。〈Ashok Yatri Niwas〉

7月23日(水) デリー

 

 午前中は手紙の返事書き。午後はカシミールカーペットを買うために出かけた。一枚数千ルピーもするから、慎重を要する。今日決めるつもりはなく下見のためにコンノートプレイスのエンポリウム数軒をあたった。

 ボンベイでもそうだったように、最初に入った店で次々と美しい絨毯が広げられる。見るだけで申し訳ないから遠慮すると「これはどうか、こっちもいい」と押しの一手。つい買わなければ悪いような気になるのを振り切って外へ出る。
 それからエンポリウム3軒、普通の店1軒をはしご。見れば見るほど1万ルピーはするような密で手の込んだものがいいと分かる。それでもいくらお土産とは言え、そんなにはお金かけられない。多久にはウールで5000ルピー、粕屋にはシルクで3000ルピー、兄たちにはエスニックな壁掛けのしようと思う。※当時のレート 1ルピー=16.2円
 結構歩いてお腹がすいてきた。コンノートサークルにあるファストフードの店に入った。セルフサービスで結構安い。インドにしては珍しい魚のフライやソーセージ、サラダが並んでいたのでばか食いした。ボンベイでもお目にかからなかったこの形式の店に入ると、とてもここがあのインドとは思えなくなる。つくづくデリーは香港、バンコクに並ぶ大都会だと思った。
 結局カーペットは一晩か二晩考えることにして買わず、高級婦人服店でパンティを買った。インド人女性は大柄なのかデカパンで、Sサイズでも大きい。デザインが凝ったのや洒落たものもなかった。今晩からのホテル代が未払いだったから、フロントへ行ったが待たされたのでやめた。〈Ashok Yatri Niwas〉