1986年(昭和61年)7月14日(月) ペシャワール

 

 エドワルドたちが出て行く前にあいさつに来てくれた。再び詳しいスペインの住所を教えてくれた。そして、ほっぺにお別れのキッス。びっくりして腰が引けたけど、うれしかった。別れは寂しかった。エドワルドとブランカはこれまでで一番長くいっよに旅して仲が良くなったのではないだろうか。

 けっこう仲が良くなっても住所を教え合った人たちは案外少ない。中国で会ったジョンとリサや鄭さん唐さん、バングラデッシュのバーバラ、マリー、カドカ氏そしてテックさん…。日本人は結構いっぱいいるけど、タイやマレーシア・香港はあまりいないということは、旅行が比較的楽な方が強い印象がない代わり親しくなった人も少ないということかもしれない。スペインのマジョルカ島に行くのが楽しみだ。ただ彼らは来年5月ぐらいにしか戻らないという。
 さて私たちもペシャワールに向けて出発。チェックアウトして朝食はファストフードの店でとる。あまり東京と変わらない。。ミニバスがいいと聞いたのでイスラマバードとの間にあるバス停まで行った。ミニバスはすぐに見つかり一人20ルピーと安い。

 すぐ出発し速かったが窓から陽がさして暑かった。パキスタン人も暑いだろうけれど窓から見える人は良く働いている。ここはインドと似ているようでかなり違う。まず、宗教が違うし経済政策かカーストがないせいなのか、みんな一生懸命に働いている。
 ペシャワールには思ったより早く着いた。バスが着くとワッとオートリキシャの客引き。値引きの交渉する暇もなくホテルの名前を言った。そのホテルは一泊朝食付きで300ルピーと高かったが、エアコン付き!外の暑さを忘れた。
 一休みして近くのバザールへ行ってみた。共産国のアフガニスタンに近いだけあり制服姿の警官をあちこちで見かけた。これにCIAやKGBのスパイが混じっていると佐俣さんが言っていた。銃や革製のガンベルトなど武器も売っている。国境のカイバル峠まで近いと感じる。

お土産屋もいっぱいあってカーペットや民芸品が目につく。アフガンカーペットはカシミールカーペットと違ってペルシャ絨毯っぽく、渋い色で幾何学模様。兄の新築祝いにいいかもしれないと思う。

 夕食をとろうといい店を探すがなく、年取ったボーイが一人いるだけの店に入る。ディナーコースが20ルピーと安いがひどく時間がかかる。夫はその間じゅう「疲れた」を連発していた。30分待っても来ないので結局キャンセルしてホテルのルームサービスで食べた。食後夫とまた喧嘩。暇だからいいけど4~5時間は口論していた。〈Jan's Hotel〉