1986年(昭和61年)5月31日(土) ギャンツェ
| ミエ姉さんの話は彼女自身の経験だからとても真に迫っていて感動する。子どもがインドで赤痢にかかったり、いろいろ苦労してあるが人生をとても楽しんであるようだ。次はあの幻のカイラス山に登りたいと言ってあった。彼女ならいつか実現できそうだ。 |
久しぶりに早起きして8時発のラサ行きのバスに乗った。8時と言っても夜が明けたばかり。几帳面な京大の学生君が起こしに来てくれた。
その彼と伸郎君はラサ直行で座席の予約もしていたがミエ姉さんと私たちはギャンツェまで座席なし。90キロ2時間半の道のりだから、空いた場所に荷物を置いて座った。 |
ギャンツェの有名なお寺の前を通ってしばらく離れたところに停まった。そこから京大の学生君に教えられた宿までおよそ1.5キロ歩く。
お寺の前で参拝には便利そう。ただここは飲み水以外の水もお湯もなくて不便だった。 |
| トイレがド迫力で二階建て。階段を登った二階部分で用を足す。囲いの高さが30センチぐらいしかなく、あちこち穴が空いているから下手すると1階部分の排せつ物が溜まっているところに落ちそうだ。 |
| 荷物を置いてさっそくお寺に行ってみた。本堂は閉まっていて横の珍しい形の塔を眺める。さらに横の僧房らしきところは入れて、その壁面にびっしりと仏画が描いてある。私たちの小さな豆球の懐中電灯で照らし出した。 |
| 夕食は四川省出身の漢民族の店でうどんのようなものを食べる。麺の上にもやし、さらに麺が盛ってあり、刻みネギなどの薬味をかけるとおいしかった。 |
そこからふらふら歩いて帰る途中、寄り道してチベッタンの家におじゃました。ミエお姉さんは仏教用の紐を持っていて、続々奥から出てきた人にあげていたけれど、私たちは何も持っていなかった。

おじいさん、おばあさん、その家のご主人までは感じよかったけれど、その嫁か娘たちが露骨に何か欲しがって困った。「ミンドゥー(ない)」という言葉をそれで憶えた。 |
| 膀胱炎がよくなっていないのか調子悪いので先に帰って休んだ。おしっこをどんどん出した方がいいと、ここの人が持ってきてくれたチャンを3杯も飲んだ。チベッタンは薦め上手だ。 |
| 夜も早めに寝ようとしたが、となりの部屋では歌合戦、村では映画上映会もあっていた。そこで電気をたくさん使うからか、まわりは停電。夜中になって突然明々と点いていた。〈加日交招待所〉 |