私の今年の漢字はズバリ!
「変」
今年はどんな1年だった?
今年は"変"化の1年だったと思う。昨年8月の閉店から変化のはじまりだったのだが、今年はさらに色々と変化した。
テイクアウトの寿司店で働いている時は朝6時過ぎに家を出て夜10時過ぎに帰る生活をしていた。
家族にもかなり負担をかけていた。まだ1歳の桜楽ちゃんのお世話もあまり出来なかった。
しかし、テイクアウトの寿司部門がなくなり、ホテルへの仕出し注文、ケータリングがメインの部門になり、だいぶ早く帰れる時間が増え、家族と過ごす時間も増えた。
コロナが完全に収束していなく、ホテルからの注文が少ないのもあったがね。注文がない日は17時過ぎに帰ったりした。
注文が少な過ぎて、外食部門に応援に行かなければならない日も出てきた、2〜5月くらい。
GW明けぐらいからまた注文が増え始めて一時期は応援もなくなった。
7月に入り、会社の経営がかなり苦しい状況らしく、また夜に外食店舗へ応援へ行くことと、給料の減額を伝えられた。
この時点で会社を辞める決断をした。
外食部門へ応援に行くと夜の帰りが遅くなり、また家族に負担がかかる。やりたい仕事でもないし、辛抱してまでやるものでもないかなと思った。
7月いっぱい働き8月は有休。
8月1日からは家事をした。
9、10、11月29日までは家事をした。
生活も変化した。少し体重も増えた。
正直、ここまで長く働かない期間を過ごすつもりはなかった。
自己都合の退職だったので失業手当が2カ月の給付制限後からしか支給されないのが長引いている要因だ。
もらえる物はもらおうとの考えでいるので早期再就職には踏み切らなかった。
一応、自営業でキッチンカーを使っての飲食販売をやることには決めている。
12月ともなると、だんだんと家にいるのも肩身が狭い思いとなる。
だが来年1月9日の2回目の失業認定日までは表立った活動は避けている。
11月終わりには、「もう明日から家事をしなくていい」と言われた。
その前日にも酷く怒られた。
自分が何も行動を起こさずに一日家で過ごしていることにストレスを感じていたのだろう。
確かに家族とはいえ毎日同じ空間にいたら息も詰まるだろう。
ワシ自身は互いに仕事をしつつ助け合いながら交代で家事も育児もやっていけばいいとは思っている。
キッチンカーの仕事を始めるのも、自分で休みたい時に休み、働きたい時に働けるようにするため。毎日働くつもりはない。
正直、やっていけるのか不安はある。
でも何か"変"われるのは確かだ。
ふぅ…
じゃあの…(。-_-。)