2019.07.05

 

 

こういうわけで、もしあなたがたが、キリストとともによみがえらされたのなら、上にあるものを求めなさい。そこにはキリストが、神の右に座を占めておられます。

 

あなたがたは、地上のものを思わず、天にあるものを思いなさい。

 

あなたがたはすでに死んでおり、あなたがたのいのちは、キリストとともに、神にうちに隠されてあるからです。

(コロサイ3章1節から3節)

 

 

 

今苦難のど真ん中におられる方、励ましのメッセージです。 平安を得る方法と、真の平安とは? 

2019年7月1日公開

 

(Pastor J.D.Farag日本語)

 

 

 

どの立ち位置から物事を見るのかということを、以前にもJ.D牧師が力強くメッセージをされていました。

 

もちろん、その立ち位置とは天の御国です。

 

私たちはあまりにも長い間、主なる神様抜きで物事を見てきました。それで、それが染みついているために、イエス様を信じた後も神様抜きで考えてしまう。あたりまえのように。

 

考えの中で、ねじれができてしまうと、いろいろと混乱しますね。

 

神様抜きで歩んでいた私は、すでに死んでおり、いまやキリストに連なる者にされています。神様抜きで考えなくてもよいようになっているのです。すでに死んでいるので。ところが、死んで、もはや無力になった立場に立って考えてしまうのですね。

 

むかしのように物事を神様抜きで考え始めると、いのちから離れてゆくので、暗くなってしまうのです。「神様抜き」ということは、その考えの行き着くところは光ではなく、闇です。闇の中にとどまらせる考えは危険です。

 

とはいえ、苦しみの中にいる時には、なぜか「神様抜き」で考えてしまいがちです。しかし、その苦しみの中で主なる神様が語りかけて下さっていることがあるのです。励ましてくださっていることがあります。だから、神様抜きで考えなくてもいいんだと気がつくことが、その暗闇の泥沼から抜け出る第一歩だったりします。

 

心を閉ざしてしまうと、そうした神様との生きた交わりができなくなってしまうので、よく気をつけて。心を開いて、自分の感じていること、考えていることを、全部イエス様の御名によって、神に聞いていただくことが、神様と共にその苦難の中を歩む実際の歩みになってゆく…

 

主なる神様との生きた深い交わりが導かれることで、苦難に遭ったことに意味が生じてきます。決してムダな時間ではなくなる。

 

どんな意味があったのかは、私たちひとりひとりが神から悟らせていただく恵みですね(^^)

 

ああ、そうか。ここにつながっていたのか。このためだったんだ…

 

全知全能で、私たちをこよなく愛してくださる主なる神様が、あのこともこのことも、あの痛みもこの失敗も、すべて引き受けてくださいます(^^)

 

それだけではなくて、それをなにかの役に立つように、益となるようにしてくださいます。

 

すごい神様ですね(^^)

 

神なしで生きてきたことを悔い改めて、イエス様を救い主と信じて、受け入れた時に、主なる神様が、わが神となる。

 

そこから、新しい道が始まるのです。

 

迷っている方がいらっしゃったら、どうぞイエス様の招きを受け入れてくださいね(^^)

 

 

 

『永遠のレンズを通して苦難を見る』の中では、神と共に今を生きるためのヒントがたくさん語られていました。

 

いま困難の時を過ごしている方々に、この動画をオススメいたします。(^^)

 

よろしかったら、ご覧になってみてください。

 

 

主の御霊の助けを頂いて、イエス様の救いに導かれる人たちが今日も現れますように。(^^)

 

 

 

Maranatha

 

 

☆Cornelius☆(^^)/