東京練馬のはずれにあった、都営住宅も、自分が中学2年になるころには出なくてはならないようになり、練馬より少し奥の石神井公園へと引っ越しをすることになる。

 

中学を変わるのもいやだったので、中学2年から電車通学となり、それまで歩いて10分ほどのところだった場所から、電車とバスを乗り継ぐという過酷な状況となった。部活も出来ず、冬には帰るころにはあたりが薄暗くなってしまうという状況。

 

自分としては、都営住宅周りの環境がとても気に入っていたので、本当に残念だったけれど、石神井公園あたりもそのころは本当に田舎で、石神井公園自体も落ち着いた公園でそのあたりは気に入った。

 

そういえば、最近になって、自分が通っていた開進小学校の名前を偶然聞いた。YouTubeで話していた、佐野史郎さんが小学校1年の少しの間その小学校に通っていた、というもの。開進小学校中学校は第一から第四まであったので、そのどれかに通っていたのだろう。でもすぐに富山のほうに(多分)引っ越したということだった。へぇ~、と思った。

 

さて、石神井公園の一軒家近辺は、なんか落ち着かない場所で、周りの家で障害沙汰が起きて弟だか兄だかが亡くなったとか、亡くならなかっただの、後は政府官僚が汚職でニュース沙汰になったりだの、後はよく、大島てる氏がYouTubeで語っている、練馬一家5人殺人事件もあったりして、土地的にはあまりよくなかったのかもしれない。

 

この一家5人殺人事件、バブル前の高度成長期にあり、この、石神井公園、厳密にいえば大泉学園前駅の近く、競売に出されていて、その競売で購入した加害者が、なけなしのお金をつぎ込んで購入したところに、発端がある。返済期限が近付いているのに、居住者は頑として引っ越さない。

 

5人を殺害後、浴室で細かくミンチ状にして処理するつもりだったのが、思ったより大変だったらしく、途中で断念。結局すぐに警察に捕まってしまった様子。捕まったとき、「ほっとした」というコメントがあったとか。なかったとか。

返済に迫られて切羽詰まってしまった加害者の心境もわかる、と思った事を覚えている。

けれど、この加害者、既に死刑執行されていて、情状酌量もなかったんだな、と思った。(ミンチ状にして、処理、というところでは、江東区の20代女性失踪事件でも、同様の処理をして、まんまと完全犯罪をもくろんだ野郎もいたようで、こちらは、処理に何故か成功している。一人だったからか)

 

石神井公園の家から中学、高校、短大、会社通いを結婚するまでのあいだ、続けた。池袋ー新宿ー渋谷 という山手線の経路を毎朝毎晩、当然痴漢に悩まされながらも満員電車に揺られて通ったのは、全然いい思い出ではない。

 

結婚後は、田園都市線や東急東横線に変わったりしたけれど、満員電車に揺られて、という部分は変わりはしなかった。それでも、池袋や新宿、渋谷の山手線から卒業できたのは、少しうれしかったかも。

 

もう、満員電車なんて無理だと思う。最近はもっと、路線や乗り入れが多くなって便利になっているようだけれど、戻りたい、という気持ちにはならない。