【富山】林道獅子越線・高坪線 五箇山旧道群 道宗道 Oct.2014 | 人間、ジープ、ケーシィ 

人間、ジープ、ケーシィ 

Guidelines of Outdoor Activities and Jeep aka High Mobility General Purpose Vehicle



2014年10月に林道獅子越線・高坪線へ行った際の動画です。
全線を早送りなしで載せているので35分ととても長いです。爆弾
興味のある方はご視聴頂ければと思います。

オフロードバイクのSUZUKI DR250Rで訪れた際はあいにくの雨(ノ_・。)
さらに入口の道標を見ようと道路脇に出たときに側溝に落ちて藪に突っ込んだのでカメラに水滴が付着して録画された映像が水滴だらけでした(x_x;)ガーン

翌日の晴れた日にJeepで通った映像が見やすいので途中からはその映像に切り替えています。

(写真は友人と訪れた時に友人が友人のjeepを撮ったものです)

現在車で通れるかも分からない先人達の歩いた山道を抜けるとそこには世界遺産がまっています。貫通したときの安堵感と感動は、現道の舗装路を使用して訪れるのとは一味違った醍醐味があります。ドキドキ
動画の中でも出口が近くなったときに舗装路に入ると「フゥ~(汗)」と安堵して緊張がほぐれた息を吐く、恥ずかしい音が入っています(/ω\)
相倉

長い動画なのでしっかりと見る方も少ないと思いますので、動画中に挿入しているコメントの一部を下記致しますφ(.. )

ちょうど第一回五箇山道宗道トレイルランが行われた形跡があり、路肩崩落欠損で名高いこの道も比較的整備が行き届いていました。
とは言っても数年前に完全消失した獅子越線の分岐後の道は未復旧のままでした(:_;)ドクロ

道宗道とは道宗という上平赤尾谷出身の室町時代後期の浄土真宗信徒が赤尾谷~井波までを通った道と言われています。
旧五箇山街道とは若干ルートが違うようにも思いますが、この地では雪深い冬には雪崩の危険性を避ける尾根上の冬季道、雪の影響が最も無い時期に高低差を殆ど排除した通りやすい谷底にできた晩秋道、他に春夏秋道等も存在するのでどこがどこだか私自身完全に把握出来てないのでなんとも言えません。すべての道をすべての季節に自分の足で歩いて見なければ完全把握はできないでしょうが、歩くのは定年を迎えてからの楽しみにとっておこうと思っています。目

今回の映像の道だけで35分もかかっているのに、道宗はこの倍以上距離のあるほぼ登山道のような道を冬季は4m以上の積雪があるのに通年毎日片道8時間という短時間で踏破していたそうです。
ちなみにGoogle地図では赤尾谷から井波瑞泉寺までは32.9km、徒歩計算で約7時間。
昔は舗装された国道や山々をショートカットするいくつもある大トンネルを使用せずに崖を登ったり降りたりのような山道を8時間というから、道宗は走っていたに違いない。リアルトレイルランナーか山伏か天狗か。昔の人には本当に頭が下がります。ニコニコ

師である蓮如上人が京都から井波の瑞泉寺に訪れた際は朝のおつとめに間に合うように夜の間に赤尾谷を出て、おつとめが終わるとまた8時間かけて赤尾谷まで戻り、仕事をしてまた夜に出発。ということを繰り返していたといいます。
お寺の朝のおつとめというと5時だか6時くらいの早い時間が予想されますが、そこから考えると前日の21時くらいには赤尾谷を出なくちゃならない計算ヽ(*'0'*)ツ
おつとめが9時頃終わったとして家に着くのは17時。
いったいなんの仕事をしていたか分かりませんが、またその日の21時には出発しなくちゃいけないぞ!(+_+)叫び

そんな道宗も超豪雪に見舞われたときには、若干遅刻したそうな、、、*人喰い谷の横わたりも通るし普通なら遭難レベルの雪山で、、、
この時蓮如上人はおつとめの開始時刻を遅らせて待っていたというから、道宗が日頃から時間に誠実で必ずやり遂げるという精神は皆に認められていたんだとなぁ~と、自分とは真逆の性格にただただ尊敬でございます(^_^)ひらめき電球

*人喰い谷・・・『越中五箇山平村史 上巻』に、「人喰い谷の伝説」という記述があり、五箇山の人が城端の町へ出る道の横わたりの難所を通ったボッカ(歩荷)が雪崩にあい、下の谷底へ押し流され、雪が消え春になると、川下へボッカのつかっていたネンジョ(杖)48本が流れ着いたという内容の「伝説」が記載されている。)