この時期になると気合が入ってくる

高校野球夏の大会⚾️が近づいてきました

抽選会も終わり対戦相手も決まり本番モード

 

一方で

 

この時期に突きつけられるのがメンバーに選ばれないという現実

特に3年生

 

「最後まで諦めるな」

「メンバー争いをしよう」

なんて言われても

 

現実を突きつけられているので

それを受け入れるかの葛藤の日々

 

選手もそうですが実は指導者も葛藤してます

 

先日、zoom会議で

「この時期の3年生に対してどう接していいか悩んでいます」と

どの年代、ステージでもそうですが

現実を受け入れる入れないの葛藤

努力しているけれども・・・

 

引退試合と銘打って

お互いのチームでメンバーに選ばれない3年生同士で試合をするところもあります。

 

 

日本語で”諦める”は放棄、断念、ギブアップなど、マイナスイメージで使われることが多いと思いますが、漢和辞典で「諦」を調べると悪い意味はひとつもありません。

〔つまびらかにする。いろいろ観察をまとめて、真相をはっきりさせる。まこと〕

さらに仏教語ではsatya(サティア)の訳語として、真実、真理、悟りを意味する素晴らしい言葉です。

諦の意味は日本語では「明らか・明らかにする」に近いのです。実際に日本語の「諦める」と「明らか」は言葉として同源。

物事の真実の姿やありさまを明らかにすることで、やっと諦められるというニュアンスを、もともと含んでいました。

ところが、日本語ではいつの間にか「明らかにする」という大切な土台がゴッソリ抜け落ちて、望んでいることを途中でやめるという意味ばかりで使われるようになってしまいました。

仏教では「諦」と「明」の合体した「あきらめ」こそ、いつでも、どんなことが起こっても、

心が苦しまず、おだやかでいられる境地(悟り)に至るために大切だとします。

 

私たちが「苦しい」「つらい」「嫌だ」「つまらない」など、マイナスの感情を抱くのは、ことごとく自分の都合通りにならない時です。こうした状況を仏教で「苦」と言います 。

 

では、どうすれば自分の都合を“諦め”られるのか。

 

 

これを読んで📖もっと極めたいと思います。