人生をどう生きるか | イエスとスピリチュアリズムと地上の兵士(わたし)

イエスとスピリチュアリズムと地上の兵士(わたし)

苦しみや悲しみが不幸ではありません。霊的真理を知らずにいることが最大の不幸です。
間違いや失敗で願いが叶わない人生が残念な人生ではありません。霊的成長せすに終わる人生が最も価値のない人生です。
真の幸福のために、ともに学びましょう。

多くの人は、まだ知りません。
私たち一人ひとりに神性の種子が宿されていることを。
それは今、未熟なかたちで表現されています。
だから私たちは神性の種子を宿しているとはいえ、間違いも失敗もするのです。

「大霊の神性の種子が人間の一人ひとりに植え込まれています。それは畑に植えた種子と同じく、生長に必要な養分を与えれば必ず芽を出し、大きく育ち、やがてその見事な花を咲かせ実を結びます。あなた方は一人一人が庭師です。内部の神性が首尾よく芽を出すかどうか、あるいはいつ芽を出すかは、各自の努力次第です。そこには自由意思というものが許されております。暗闇に閉じ込め、発育に必要な光を当てなければ、大霊の顕現する機会はありません。」
『シルバーバーチの霊訓(12)』P.88/L7~LB1

種子にとって必要な養分は、さまざまな体験を通してしか得られません。
それは楽しい体験よりも、辛く苦しく孤独な体験から得られることが多いのです。
発育に必要な光はそこから得られるのです。

周囲に流されるまま生きることや、現状に満足した生き方を選択することは、せっかく神から与えられた自由意志を活かすことができていません。
自分自身を日の当たらない雑草の生えた庭に住まわせているかもしれません。

自由意志を使い何を選択するのかで、霊的な光がふんだんに注がれる美しい花々の咲く庭を造ることもできるのです。
自らの自由意志を使って霊的なことを優先する生き方を選択すれば、神性の種子を育てることができるのです。


「人間の本性を私が変えるわけにはまいりません。その本性は実に可変性に富んでおります。最高のものを志向することもできれば、哀れにもドン底まで落ち込むこともできます。そこに地上へ再生してくる大きな目的があるのです。内部には霊的な可能性のすべてが宿されております。肉体は大地からもらいますが、それを動かす力は内部の霊性です。 人生をどう生きるか──霊のことを第一に考えるか、それとも物質(もの)を優先させるか、それは本人の自由意志の選択にまかされております。そこに人間的問題の核心があるのです」
『シルバーバーチの霊訓(8)』P.40/L4~L9

自由意志は、神がすべての人間に与えてくださったものです。
私たちは常に何かを選択しながら生きています。
今の選択が未来の自分を築いています。
自由意志を使ってどう生きるか。
判断基準はただ一つ、摂理(霊的真理)に適っているかです。
私たちの地上人生の目的は、ここにあります。
自由意志を使い摂理に適った生き方を実践することで霊的成長をなしていくことです。

人間は死後も霊界で永遠に生き続ける霊的存在であること、この地上人生の意義と目的、神についてなど知っておくべきことが私たちにはあるのです。
霊的真理だけが、私たちに正しい知識をもたらしてくれます。


<参考>
スピリチュアリズムの思想[Ⅰ] 8.地上人生の目的と霊的成長のための歩み(スピリチュアリズム普及会)
スピリチュアリズムとは 3.スピリチュアリズム的生き方の特徴(スピリチュアリズム普及会)
永遠の霊性進化の道と、一瞬の地上人生――“永遠に生きる”ということの深い意味を再確認しましょうニューズレター第29号(スピリチュアリズム普及会)