「魂はその琴線に触れる体験を経るまでは目覚めないものです。その体験の中にあっては、あたかもこの世から希望が消え失せ、光明も導きも無くなったかに思えるものです。
絶望の淵にいる思いがします。ドン底に突き落とされ、もはや這い上がる可能性がないかに思える恐怖を味わいます。そこに至ってはじめて魂が目を覚ますのです。
ですから、私たち霊界の者は魂にその受け入れ準備ができるまで根気よく待つほかないのです。馬を水辺に連れて行くことはできても水を飲ませることはできない、という諺があります。本人がその気にならなければどうしようもないのです」
『シルバーバーチの霊訓(10)』P.23/L5~L11
「わたしはわたしが学んできた真理しか眼中にありません。それがわたしの唯一の判断基準です。わたしの申し上げることがしっくりこないという方に押しつける気持は毛頭ありません。わたしに知り得たものを、精いっぱい謙虚に、精いっぱい敬虔な気持で披瀝するだけです。わたしが獲得した知識のすべて、叡智のすべてを、受け入れてくださる方の足もとに置いてさしあげるだけです。これは受け取るわけにはいきません、とおっしゃれば、それはその方の責任であり、わたしの責任ではありません」
『地上人類への最高の福音』P.54/L7~LB3
すべては、自分次第です。
哲学も宗教もあらゆる思想も自分を救ってはくれない、真の救いはそこからも地上のものすべてをもってきても得られないと気づき絶望したときに、霊的真理を手にする人がいます。
今まで信じていたものに疑問を抱き、間違っているのかもと葛藤を続け、答えを真摯に求めて霊的真理に出会う人もいます。
私も寄り道をしてきました。
苦しい時に一つのものを信じ、ある時それを不審に思い手放し、別のものに救いの道を求め漂い始め、また別のものを信じ、それにも疑問を抱き漂い、ようやく霊的真理にたどり着きました。
人からは「考えることが好きなだけだ」と否定されたり、「言うことが変わる」と批判されたりもしましたが、寄り道は私にとって必要なものだったのです。
理解する力が足りなかったから、いろいろなものを手に取りその都度間違いに気づかされ、一段ずつ霊的真理の理解まで上っていったのです。
そんな私にできることは、価値ある人生を歩むために必要な『シルバーバーチの霊訓』という素晴らしい教えがあることをお伝えすること以外ありません。
霊的真理を必要とされる方が、ご自分の意志で真理の探究と実践の道に進んでいかれるきっかけの一つになれればとの願いを込めて。
一人でも多くの方が、霊的真理を手にし価値ある素晴らしい地上人生を歩めますように。
<参考>1.霊的人生とは(1)霊的真理との出会いと“スピリチュアリズム人生”の出発(スピリチュアリズム普及会)
3.スピリチュアリズム的生き方の特徴(スピリチュアリズム普及会)