苦しいときの祈り | イエスとスピリチュアリズムと地上の兵士(わたし)

イエスとスピリチュアリズムと地上の兵士(わたし)

苦しみや悲しみが不幸ではありません。霊的真理を知らずにいることが最大の不幸です。
間違いや失敗で願いが叶わない人生が残念な人生ではありません。霊的成長せすに終わる人生が最も価値のない人生です。
真の幸福のために、ともに学びましょう。

「祈りにはそれなりの回答が与えられます。しかしそれは必ずしもあなたが望んでいる通りの形ではなく、その時のあなたの霊的成長にとっていちばん望ましい形で与えられます。神は決して我が子を見捨てるようなことは致しません。しかし神が施されることを地上的なモノサシで批判することはやめなくてはいけません」
『シルバーバーチの霊訓(1)』P.58/LB1~P.59/L4


神に、苦しみを軽くしてほしい、不幸を取り除いてほしい、不運を避けてほしいといったことを願ったことはありませんか。
願いが霊的成長を妨げる願いであったなら、聞き届けられることはありません。
私たちの真の幸福が霊的成長にあるからです。
もし苦しみの中で神にすがるのであれば、「私にこの苦しみに立ち向かう勇気と力をお与えください」と祈る方がいいのです。
自らの力で乗り越えるしかないから、何とかしてほしいではなく援助を求めればいいのです。
神は私たちを見捨てることはありません。
私たちに真の幸福を得させてあげたいと願っておられるのです。