理解の限界 | イエスとスピリチュアリズムと地上の兵士(わたし)

イエスとスピリチュアリズムと地上の兵士(わたし)

苦しみや悲しみが不幸ではありません。霊的真理を知らずにいることが最大の不幸です。
間違いや失敗で願いが叶わない人生が残念な人生ではありません。霊的成長せすに終わる人生が最も価値のない人生です。
真の幸福のために、ともに学びましょう。

「私は生命とは霊のことであり、霊とは生命のことであり、初めも
終わりもないと説いております。
霊を物質の中に閉じ込めてしまうことはできません。物資というのは
霊のいたってお粗末な表現でしかありません。
物質界に生きる人間は視覚と聴覚と触覚と嗅覚と味覚の五つの感
覚でしか物事を判断することができませんから、その五感を超え
た生命の本質を理解することはまず無理なのです。
 そうした限界の中で生きているかぎり、その限界の向こう側にあ
るものが理解できるわけがありません。
そこで次のような結論となります。すなわち宇宙は自然法則によって
表現されていること、その法則の背後にある叡智は完全であること、
しかし人間は不完全であるためにその完全さを理解することができな
いということです。
人間が個体性を具えた限りある存在である以上、個体性のない無限
の存在を理解することはできないのです。
これはとても難しい問題ですが、少しでも理解の手助けになればと
思って申し上げてみました。」

『シルバーバーチの霊訓』(7)P143/2


私たちが生命の本質を完全に理解ができなくても、摂理は正確に働いています。
地上に嵐が吹こうが大地を揺るがそうが、必ず四季は巡ってきます。
星は規則正しく夜空に輝きます。

私たちが五感で認識できないものを拒否しても、摂理は正確に働きます。
神の創った摂理に適った行為には豊かな実りを、
摂理に反した行為には苦い刈り取りをもたらします。

私たちは誰もが神の摂理の中で生きています。