魂の求めるもの | イエスとスピリチュアリズムと地上の兵士(わたし)

イエスとスピリチュアリズムと地上の兵士(わたし)

苦しみや悲しみが不幸ではありません。霊的真理を知らずにいることが最大の不幸です。
間違いや失敗で願いが叶わない人生が残念な人生ではありません。霊的成長せすに終わる人生が最も価値のない人生です。
真の幸福のために、ともに学びましょう。

50代半ばの友人が、ぽつりと言いました。
「今まで、未来のためにいつも現在を費やしてきたのかもしれない。
思えば、ずっと現在を生きてこなかったのかな…」

友人はこの地上世界で成功者と言われる人間になることが夢でした。
一つ目標を達成すると次の目標を目指してきました。

40才を過ぎた頃から、自分の限界と
地上での残された時間を考えるようになりました。
自分の思い描く満足できる成功ではありませんでしたが、
世間的には成功した現状に妥協し、向上よりも維持を選びました。

目標に向かう気力が失せると同時に、
いろんな事を経験したいという欲求が芽生えました。

かつては、お金も時間もなくいろいろなものを我慢し犠牲にしてきましたが、
もう金銭的な不自由はありません。
自分の残された地上人生で、地上でのさまざまな体験を
できる限り楽しみたいと思いました。
その希望通りさまざまな体験の時間を過ごし、とても満足していました。


しかし、今友人は趣味に駈けずり回ることに疑問を持ち始めました。
スキューバダイビングや登山は確かに自分に一時的な満足感を与えてくれますが、
それは長続きしませんでした。
理由のわからない渇望感を感じ始めました。

本人はまだ気付いていませんが、その“理由のわからない渇望感”が
魂の欲求なのです。

友人は、唯物論者です。

“地球が生物の生存できる星になったのは偶然が重なったからで、
自分が地上に生まれたのも偶然でしかない。
たまたま自分という人間が誕生しただけで、
生まれた意味も自分の存在に理由もない。
生きる意味や死について考えることは無駄なこと。
理由のないものに答えなどない。”
と考えています。


人間には、脳から発せられる肉体的意識と
自分の本体である霊から発する霊的意識があります。
今まで友人は、肉体的意識の欲求を満たすことばかりしてきました。
そして、霊的なものを否定してきました。

魂の欲求は、霊的意識の一部です。
だから、仕事も趣味も魂の欲求を満たすことはできません。
物的なのもの地上的なものは、魂を満たしてくれません。

友人が “渇望感”をなくすには、
霊的なことに目を向けるほかありません。

「霊的存在として優先すべきものをちゃんと優先させ、その上で物的人間としての責務も忘れないということであらねばなりません。霊をおろそかにしてもいけませんし、精神をおろそかにしてもいけませんし、身体をおろそかにしてもいけません。責任をもつべきことを回避してはいけません」
『シルバーバーチの霊訓』(8)P129/4



今地上に生きていることには目的と意義があります。
地上人生の本来の目的は何か。
霊的に優先させるものとは何か。
それを理解することでしか、渇望感をなくす方法は見つかりません。


「地上生活のそもそもの目的は霊的・精神的・物的の三つの側面での体験を積むことです。この地球という天体上で得られるかぎりの、幅広い体験を積むために誕生しているのです」
『シルバーバーチの新たなる啓示』P157/LB4


友人が、“今を生きる”という永続的な充実感を得るには、
唯物論の限界を知り、自分が霊的存在者であることを知ることからだと思います。
この地上にいる間に、気付いてほしいと願っています。