負の感情を抱いたら | イエスとスピリチュアリズムと地上の兵士(わたし)

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苦しみや悲しみが不幸ではありません。霊的真理を知らずにいることが最大の不幸です。
間違いや失敗で願いが叶わない人生が残念な人生ではありません。霊的成長せすに終わる人生が最も価値のない人生です。
真の幸福のために、ともに学びましょう。

過去の自分を振り返り、人の気持ちを察することができず誰かを傷つけたことはありませんか。
自分の気持ちにしか意識が向かず自分以外の人にもそれぞれの思いがあることに気付いていませんでした。
それを‘自己中心的’‘利己主義’というのですね。


人間は、憎しみや怒りや苛立ち妬みといった負の感情を心に抱くと良心や理性や冷静さを心の片隅に追いやってしまいます。
同じ事を止めどなく考えて、同じ思考をグルグル繰り返しています。
そして、“やっぱり私は間違っていない”と自分の正当性を自分の中で確立すると同時に負の感情を雪だるま式に大きくしていきます。
そこには客観的な見方、相手の考えや思いを想像することが抜け落ちています。
どこまでいっても、<自分サイドからの見方=偏見>かもしれないということに気づくことはありません。

一旦その思考パターンに入ってしまうとなかなか抜け出せず、負の感情を抱き続けます。
負の感情に囚われてしまいます。
自分自身を負の感情の鎖で縛り、他の豊かな感情を殺してしまっています。
それは他の誰でもなく自分自身を一番不幸にしています。
それだけではありません。

シルバーバーチは負の感情の罪悪性に関して
嫉妬心、貪欲、恨み、憎しみといった邪念は身体的行為よりも大きな悪影響を及ぼします。思い切り人をぶん殴ることよって相手に与える痛みよりも、その行為に至らせた邪念が当人の霊と精神に及ぼす悪影響の方がはるかに強烈です。
と言っています。
誰かに憎しみを抱き実際に暴力をふるう行為よりも、そこまで邪念(負の感情)を持ったことの方が罪深い場合があるということです。
私たちは行為だけでなりたっていません。心に思うこと、口に出して言うことにも責任があります。
行動に移さなかったからといって罪にならないことはありません。
心に思うことも言うことも罪になります。


人の悪口を言っている人の表情を見てください。
うっぷんを晴らして楽しそうに見えるかもしれませんが、美しさに欠けていると思います。
もしかしたら、歪んでいるかもしれません。
…美しさの欠けた歪んだ表情
きっと、心に邪念を抱いている時も同じはずです。

しかし、日々生活していて嫌な思いをすることは避けられません。
無意識に誰かを非難・批判をしています。
だから仕方ない… ではありません。

臆病を勇気に、憎しみを愛に変えることができるとシルバーバーチは言っています。
人間の精神にはさまざまな複雑な感情や想念が渦巻いております。それをうまくコントロールするところにあなたの成長があり進化があり、低いものが高いものに転換されていくのです。

地上にいる私たちはみな善も悪も持ち合わせています。
それを良心や理性と努力によって自分をコントロールしていくことこそが、地上人生の目的である霊的成長につながるのです。