最後に述べた場所は、ブッダの母親が生まれたところである。彼女の父親の名前は「サーキヤのアンジャナ」という、わかりやすい名前が付いている。
したがって、ずっと後の文献に、彼女はコーリヤー族の出身で、デーヴァダハ皇太子(彼の名前にちなんでデーヴァダハの町名が付けられた)はコーリヤー族の首領であったと書かれていることから判断すると、コーリヤー国はサーキヤ国に従属する領土の一種であったという説明ができるだろう。
市場のある町はきわめて多数存在しており、これらは、農業を中心とする共同体として、かなり広い領地を持っていた。
ブッダゴーサは、ブッダには父方に8万家族の親類縁者がおり、母方にも同数がいたという古い言い伝えを記録している。従者も含めて1家族に6~7人いたとすると、サーキヤ族の領地には合計で約100万人がいたことになる。
この数字はあくまで言い伝えなのであるが、せいぜい概数としては(数字に込められた神秘的意味合いを考慮に入れないとすれば)、この程度のものだったのではないかと思われる。