人生のいろんな場面で、後悔することは多々ある。

けれど、何回、この場面で、

「ああ、神様、今までの私の行いをすべて反省いたします。ですから、
どうか、お慈悲を。」

と祈ったことか。

子供の頃から、歯医者さんとは、縁が切れない。

だいたいが、虫歯で通っていたけど、
大人になると、
恐怖心と怠惰な性格が災いして、
放っておいたからか、

毎年毎年、痛みに耐えかねて、通うことになる。

姉妹でも、妹は、歯が丈夫で美しい。良い歯の表彰を受けたくらいだ。

環境が違っていた。大人の歯に生え替わったころ、
私は、両親の仕事の都合で、
祖母に預けられていたのだ。

今と違って、さほど、歯磨きの重要性も言われない時代だったのに加え、
祖母は、やたらに、私にお菓子を与えていた。いつもチョコレートを食べていたのを思い出す。







私の歯の苦労を祖母のせいにするつもりはないが、
いかに、子供時代の毎日の習慣が、
その後の人生に影響を与えるかが、
わかるような気がする。

それで、去年、かなり、大掛かりに修理したのだが、
また、虫歯になって、

結局、歯医者さん通いを余儀なくされたドクロ

もう、ドキドキしてしまって、
診察台の上で、借りてきた猫みたいになる。









そのとき、
いつもの、神様のお慈悲、が、
始まる。

何百回、神様を呼びつけたことだろう。
もう、本物の神様は、またかよっ!
って思って、
たぶん、
バイトで雇った神様が、やってきてる
気がする。

だから、今日も、やっぱり、痛かった、
というより、
痛いことされるんじゃ?という恐怖心
で、
痛かったわけだった。

バイトの人数、増やしてほしい、

神様。








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BSで、そういう番組やってたので、
どんなかなあって。

50位からベスト1まで、何曲知ってるかな。

って、みんな知ってる。

が、80年、90年代は、曲聴いたことあるなあ、って程度だった。

この期間、私は、しゃかりきに、3人の息子の子育てにかかりきりだったからだ。

だから、めちゃくちゃ、嬉しかったのは、ピンクフロイドや、ディープパープル、エマーソン・レイク&パーマー、ジェフ・ペック、も、ちゃんとランクインしていたことだな。
60年後半から70年代ね。

子育ての前は、しゃかりきに音楽聴いたり、長いスカートはいて
踊ったり、裸んぼうで泳いだりしていたものだ。

70年代、私は、地球は学生中心に、
強いて言えば、私を中心に回っているとさえ思っていた。

中学生の頃、ラジオの短波で、アメリカの放送局に合わせて、夜な夜な聴いていた。勉強してるふりして。

学校に行っても話の合う友人は作れなかった。私がお高くとまっていたのだろう。なんせ、地球は、私中心に、回っていたのだから。

そんなとき、ピンクフロイドも、ヴェルヴェットアンダーグラウンドもロキシーミュージックも、みんな私の味方をしてくれたものだ。

味方になったバンドを並べただけで、
私の好みは、一目瞭然だな。

まあ、懐かしの日本の歌謡曲っぽいかんじだったのだけど。

どうしても、私は、70年代にひっぱられていく。



夜、京都から訃報が入った。
私たち夫婦(大学が同窓)の研究室の先生、恩師である人が、
亡くなってしまったのだ。

去年2月のブログに書いた京都北白河に隠遁生活されていた彼だ。

去年。1月末に北白河のお宅にお邪魔して、クエ鍋をごちそうになり、
愛媛の地酒をくみかわし、
恩師と教え子という枠が取れて、
仙人とその弟子みたくなって、
ものすごく楽しい夜だったのだ。

彼が、心底、うれしそうな様子だったので、
帰り際、私たち夫婦は、 ほぼ、同時に 幸せ感 を 味わったのだった。

人のうれしそうな様子を見て自分が幸せになれる なんて
地球は自分中心に、まわっていると思っていた私には、考えられないことだった。

先生の置きみやげなのかな。
いい歳して、自己中やってんじゃないよ。人を喜ばせてるんかいな、おまえらは?って。

先生は、学校で難しいこと言ってた、マクルーハンやら、ヴェンヤミンやら、レーニンたら、ぶつくさだった陰で、
私は、ニコを聴いたり、稲垣足穂を読んだり、親にうそついて、ジャズ喫茶に閉店までいたり、琵琶湖のジャズフェスで一晩中踊ったりして、

勉強なんか、これっぽっちもせずに、
40年後に 日本人に愛される洋楽アーティストベスト50に入るような、
バンドを聴きまくっていたのだった。

あのとき、ちっとも、勉強しなくて、ごめんなさい、先生。

でもね、先生、人生は、学校の勉強だけじゃあなかったよねえ。
勉強しとけば、もすこし、人の役にたったかもしれないけれど。

のちに、うんと大人になってから、私が、大学院で勉強し直したということよりも、

先生は、私が、いま、きゅうりや、ナスや、大根を育てていることのほうを誉めてくださった。

全然呑めなかった女子大生の私より、
一緒に、冷や酒をくみかわせるようになった私に、どんどんついでくださった。


それで、

私が選んで差し上げた 砥部焼のマグカップに、毎朝、コーヒーを入れて飲んでくださってた。同居人の話では、亡くなる前日の朝まで、マグカップでコーヒーを飲んでくださったそうだ。

あんなに、偏屈で、権力に常に立ち向かい、世の中の縁を斜めに見上げながら、生きていた近寄りがたい先生に、
いつか、普通に話せるよう、そして認めてもらえることを、ささやかに願っていた私の、、、マグカップ。

最後の日の朝まで手にしていただいたことが、なにより、嬉しくて、
寂しくて、痛くて、

号泣した。



愛される洋楽アーティスト


 
愛した先生。














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梅が終わると、
お庭には、

桃 と 菜の花





綺麗だなあ 

って思う私 



好き。



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