うまくいっていて豊かで

幸せそうな人達がいる。


そういう人達はいつも


全てのことに感謝をしていて

人に沢山のものを与えていて

毎日トイレ掃除をしていて

優しくて器が大きいらしい。


うまくいって豊かで幸せになりたいのなら

そういう人達と同じような生き方をすれば

いいらしい。


だからそういう人達の生き方を

真似てみることにした。


いつも感謝の言葉を口にするようにして

人に何かを与えてみて

毎日トイレ掃除をするようにしてみて

人にはいつも笑顔で優しい言葉を

かけてみるようにした。


どれも結構しっかりと

実践していたはずなのに


いつまで経っても心は満たされないし

日常は何も変わらない。


それに豊かになるどころか

手元にあるものは減っていくばかり。




感謝するとか、

何かを与えるとか、

トイレ掃除とか、


そんなことよりもっとやりたいと

思っていることがあるでしょ。


優しい言葉よりも

もっと伝えたい言葉があるでしょ。


優しい言葉や感謝の言葉を

口にしている自分ではなくて


心の中で誰かのことを裁き馬鹿しにて

見下している方の自分を見つめていこう。


誰かに何かを与えている

自分ではなくて


心の中で思い切り見返りを求めて

相手を見張り非難している方の自分を

見つめていこう。


偉大に見える誰かの真似をしても


誰かを見下している自分や

誰かを非難している自分がいなくなって


都合良く自分も偉大な存在になれる

なんてことはない。


現実を創造しているのは頭の中に

都合良く思い描いている優しくて

器の大きな自分じゃなくて


誰かのことを見下し

非難している自分の方。


だから今の状況を変えたいのなら


うまくいっていて豊かで幸せそうな

偉大に見える誰かの真似をするのも

いいけれど


その前にちゃんと見るべきところを見て

やるべきことをやって伝えるべきことを伝えて


誰かを見下したり非難したりしなくても

生きられるようになろう。


偉大に見える誰かよりも

自分のことを見つめてやろう。


そして誰かのことを見下したり

非難したりすることをやめられない

自分の叫び声を聞いてやろう。


今の状況を変えるために

本当にやるべきことや言うべきことは

その叫び声が全部教えてくれるのだから。




感謝なんてできなくてもいいのだし

人に何かを与えられなくてもいいのだし

掃除嫌いであってもいいのだし

器が小さくたっていい。


何もうまくいかなくて

豊かで幸せだと思えないのは

そんなことのせいじゃないよ。


手を加えるところがズレていたら

現実もズレていくだけだ。




現実を変えたいけれど

どうすればいいのか分からないと思う時


多くの人々に"良い"とか"善"とか"凄い"

とかって言われているような誰かや何かなら

現実を変えてくれそうな気がする。


だからつい自分を置いてけぼりにして

本当にやるべきことや言うべきことを放棄して


その誰かや何かに目を向けて真似をしたりして

すがりついてしまいがちになる。


そしてそのうち"良い"とか

"善"とかいうものに取り込まれて


"良い"とか"善"とかいうもので

他人を裁くようになり


置いてけぼりにした自分のことを

見失っていってしまう。


でも自分の現実を何とかできるのは

"良い"とか"善"とか言われているような

何かや誰かじゃなくて


置いてけぼりにされ続けている

自分の方。


だからもうそろそろ興味なんてない

やりたくないことはやめて

今の自分のありのままの真実の姿を見て


そこから今本当にやるべきことや

伝えるべきことを知って

実行に移していこう。


今を変えるために必要なことは

今の自分に合っていること。


今の自分に合っていないことをやっても

空回りするだけだ。




別に凄い人物や偉大な人物に

なりたいわけじゃなくて

ただ幸せになりたいだけ。


だったらもう凄い人物や偉大な人物の真似をして

クズな自分を無視するのはやめて


全ての答えを知っている

クズな自分の叫び声を聞いて


今のクズな自分がやるべきことや

伝えるべきことは何なのかということを

教えてもらって


それを実行に移していこう。


"凄い"とか"良い"と言われているような

ことじゃなくて


今の自分に合っていることを

実行に移していったなら


必ず変わるべきものは変わっていくし

うまくいって豊かで幸せにだってなっていくよ。