それは何を隠すための言葉?
それは何を隠すための行動?
"絶対に触れられたくない"
そう思うところがあれば
当たり前のように"隠す"という
行動をとるようになる。
そして隠すものが一つでもあれば
何をするにも隠すことが
最優先事項となってしまう。
口では
"やりたいこと"とか"興味があること"
なんて言っているけれど
本当は好きでもなければ
興味もない。
ただ隠したいと思っていることを
うまく隠すことができるから
"やりたいこと"とか"興味があること"
なんて言葉で誤魔化してやっているだけ。
応援しているフリや
気にかけているフリを
しているけれど
本当は心の中では相手のことを
嘲笑っている。
嘲笑っている相手の何かは
自分が絶対に触れられたくないと思い
必死になって隠しているもの。
うまく隠しているつもりでも
本当は隠しているものによって
人生を狂わされているだけ。
何かを隠している限りは
隠すためにしか生きられない。
本当に言うべきことを言うことができず
隠すための嘘をつくことしかできなくて
本当に選ぶべきものや人ではなくて
隠すためのものや人しか選ぶことができない。
もし今必死になって隠そうとしているものを
隠すことをやめられたなら
今言っていることややっていることが
きっと馬鹿らしく思えてくる。
隠すことをやめて
まともな感覚を取り戻せば
"何故あんなことを言って
あんなことをやっていたのだろう"
そう思うようになる。
それほどおかしなことをやっているのに
何かを隠すことに必死になっている時には
自分はまともだと思い込んでいる。
人生を変えたいとか幸せになりたいとか
そんなことを言うなら
まずは何かを隠さなくても
生きることができるようになろう。
何かを隠さないということは
すれ違う誰かが隠したいと
思っているものを持っていた時
その誰かに絡むことなく
そのまま素通りできるということであって
隠したいと思っているものを
すれ違う誰かに突かれた時に
そのまま無視して
素通りできるということ。
誰かのことを嘲笑い人生を変えようとか
幸せになろうとするなんて甘いよ。
何かを隠すための言葉や行動と
人生を変えて幸せになるための
言葉や行動は全然違うんだよ。
いつまでも自分のことが分からなくて
魅力的にもなれないのは
何かを隠すための嘘の言葉を話し
何かを隠すためのつまらないことばかりを
やっているから。
それは言うべきことじゃないし
やるべきことじゃない。
でも隠しているものを受け入れない限りは
そうとは思えない。
本当は何かを隠しているだけなのに
何かを本気でやっているフリや
人生を変えているつもりになる
なんてことはもうやめにしよう。
絶対に触れられたくないと
思っているところ。
それが自分の人生を
狂わせているんだよ。
人生を変える方法探しとか
やりたいこと探しとか
そんなことをするぐらいなら
隠しているものを受け入れる方法探しを
した方がまだマシだ。
人生なんて変えようとしなくてもいい。
隠しているものを受け入れて
隠すことから解放されたなら
言葉や行動が勝手に変わっていって
人生だって変わっていくのだから。
本当の意味で
人生を変えていくためにも
今必死になって隠そうとしている何かが
隠さなければならないものである
という思い込みから解放されよう。
隠すことでも何でもないことを誰かが
"恥だ"とか"駄目だ"ということにして
同じ思い込みを持っている者同士が
騒ぎ合っているだけ。
いつまでも人生が変わらないのは
言葉や行動が人生を変えるためのものではなくて
何かを隠すためのものになっているから。
人生を変えるための言動と
何かを隠すための言動を
両立させることは決してできない。
だからこそ人生を変えたいと思うのなら
何よりもまずは何かを隠さなくても
生きることができる自分になろう。
そこを超えなければ
何も始まらないのだ。