こんなことでいいの?って思うような
ちっぽけなことで自分のことを認める
勇気と強さがあれば

人生が結構面白く
なってくる。

自分のことを
認められない限りは

どうしても認めてもらおうとすることを
やめられない。

自分のことを認めてほしくて
たまらなくて

褒め言葉が返ってくるまでは
満足できなくて

期待通りの褒め言葉が返ってくるまで
他人を見張り続ける。

自由なんてどこにもない。

心惹かれる何かがあっても

"褒め言葉をもらう道具には
ならなさそうだから"

なんて理由で諦める。

そうして人生がどんどん
つまらないものになっていく。


こんなことでいいの?

と思うようなちっぽけなことで
自分のことを認めようとする時に
必ずといっていいほどに出てくる考え。

"こんなことで自分のことを認めてしまったら
馬鹿にされるんじゃないか"

そう考えることが当たり前のように
なっていたけれど

よくよく考えてみたら

"他人に馬鹿にされるから"

なんて理由で自分のことを認めることを
放棄してありもしないハードルを設けて

"そのハードルを越えることができれば
自分のことを認めるんだ"

って宣言するなんて残念すぎるよ。

ずっとありもしないハードルを越えることを
"努力だ"とか言って

努力をしない他人を裁きながら
努力をする自分に酔いしれて

ハードルを超えたら皆に認められて
幸せになれると思っていた。

そしてハードルを越えることができない
自分を責めハードルを越える方法を
探しまくって

本当に苦しくてつまらない人生を
生きていた。

でも本当は自分のことを認める
勇気と強さがあったなら

それらは全てやる必要なんて
なかったわけで

私が選ぶべきもの、選びたいものは
もっと他にあったのだ。


無条件で自分のことを認める
勇気と強さがあれば

素直に"ごめんなさい"と言うことだって
できるようになる。

自分のことを無条件で認めることが
できるようになったら

褒め言葉をもらうための道具にもならない
ガラクタのようにしか思えなかった
"ごめんなさい"って言葉が

自分の人生を面白いものにしていくための
大切な言葉になった。


"他人からの褒め言葉が
必要ないのだとしたら"

って考えてみたら

要らないな、と思うものや
やめよう、と思うことが
結構出てきたりするもの。

本当は自分のことを認めるのに
条件やハードルなんてないのだし

"ただ生きている"ってだけの理由で
自分のことを褒めて認めてやっていい。


自分のことを無条件で認めることが
できていなければ選べないものがある。

自分のことを無条件で認めることが
できていなければ言えない言葉がある。

そんなものや言葉こそが自分の人生を
面白いものにしていってくれるのだ。

だからありもしないハードルを越えるために
生きて本当は責める必要のない人に腹を立て
つまらない人生を生きるぐらいなら

今この瞬間から自分のことを無条件に
認めてしまって

ずっと選べなかったものを選んで
ずっと言えなかったことを言って
楽しい人生を生きていこう。