本当は相手のためだなんて思っていない。

"相手を助ける"という行為を通して
承認欲求を満たしたり無価値感や
劣等感を誤魔化したりしたいだけ。

私が勝手に相手を助けているつもりになって
相手を利用しているだけ。

私は相手を助けているのではなくて
相手に依存しているだけ。

相手に腹が立つたのは相手がいつまでも
だらしなくて怠惰だからじゃなくて

相手が期待通りの反応を
返してくれないから。

私はその反応が欲しくて
相手を助けているだけ。

私が本当に相手に言いたいことは

"どうしていつまでもそんなにだらしなくて
怠惰なのよ、いい加減しっかりしてよ"

ってことじゃなくて

"どうしてあなたは凄いねとか価値があるね
とか素晴らしいねとかいてくれて助かるよ
って言葉を言ってくれないのよ"

ってこと。

その言葉を私自身に言うべきなのは
相手じゃなくて私の方だよ。

私がいつまでも不幸だとしか思えなかった
のはいつまでもその責任を放棄して

他人に"やれよ!"なんて言って
押し付けていたから。


本当の意味でだらしなくて怠惰なのは
私の方だった。

やっている行為だけを見ると私は相手を
助けている思いやりがあって心優しい人間
のように見えていただろうし

実際に周りの人達にはそう言って
褒められていたけれど

本当の私は自分のことを認めるという責任を
放棄して相手を利用しているだけの
残念な人間でしかなかったよ。


本当の動機を認めて自分のことを認める
という責任を果たして生きるようになった時

"相手を助ける"という行為に
依存する必要がなくなった。

すると相手を助けて相手から期待した通りの
反応を引き出すために使っていた
お金や時間を

本当に使うべきところに使うことが
できるようになった。

すると問題が消え去って
幸せが分かるようになっていった。

相手は問題でも何でもなかったよ。


幸せって、誰かがくれるものじゃなくて
いつだって今ここにあるもの。

だから他人に求めれば求めるほどに
見えなくなっていくだけ。

あくまでも他人は私のことを
不幸にすることなどできないわけで

だからこそ私の不幸と
ムカつく相手は関係ない。

もう相手のためにとか、
相手の幸せを考えてとか、

そんなことを言って誰かを利用して
一方的に腹を立てたりして自分の不幸を
誰かのせいにして

その誰かを変えたら幸せになれるなんて
勘違いをして解決する必要もない問題を
解決し続けて

わざわざ不幸を選び続ける
なんてことはやめよう。


不幸だとしか思えない時、どれだけ
腹立たしいとしか思えないような人が
周りにいようとも

あくまでも私の不幸は
私のせい。


どうせならさっさと幸せになって
いきたいじゃない。

だからどんなにダサくて残念だとしか
思えないような動機であったとしても

問題の種になっている本当の動機を認めて
さっさと幸せになっていこう。