良い人でいようとする
褒められようとする
必要以上にもらおうとする
ご機嫌を取ろうとする
気に入られようとする
嫌われないようにする

そんな無駄なことに
エネルギーを費やすから

本当はシンプルで簡単なことが
複雑で大変なことになって
疲れて嫌になってしまうのだ。

自分がやっていることを責めて
"やることを変えたら幸せになれるだろう"
なんて思っていたけれど

やることを変えても
幸せにはなれなかったよ。

だってエネルギーの使い方は
変わっていなかったわけだから。

エネルギーの無駄遣いをやめないと
何をやっても疲れるし嫌にもなるよ。

私の不幸や謎の疲労感の原因は
私がやっていたことじゃなくて
やる側である私の方にあったみたい。

横を見ればエネルギーの無駄遣いをせずに
私よりも簡単にスムーズに楽しそうに
やっている人もいたもんな。

明らかに自分には合っていない
というようなことでなければ

どんなことでもある程度
楽しむことはできるもの。

逆に言えばたとえ自分に合っている
ことだったとしても

エネルギーの無駄遣いをしながらやって
いたら楽しいとは思えないし結局は疲れて
嫌になってしまうだけだ。

必ずしも自分にピッタリのやりたいことが
見つかれば楽しく幸せに生きていける
ってものでもない。

別に自分にピッタリの
やりたいことじゃなくても

自分次第で楽しく幸せに
生きていくことはできるよ。

だから

"自分にピッタリのやりたいことが
見つかるまでは幸せになれないんだ"

なんて言ってエネルギーの無駄遣いを
しながら疲れるだけの絶望的な毎日を
生きるんじゃなくて

エネルギーの無駄遣いをやめて自分に
ピッタリのやりたいことを探しながらも
今を楽しく幸せに生きていよう。


私がまずやるべきだったことは自分が
やっていることを責めてやることを変える
ってことを繰り返すことじゃなくて

エネルギーの無駄遣いをやめて生きることの
できる自分になるってことだった。

エネルギーの無駄遣いをやめて
生きることができるようになれば

複雑で大変だと思っていたことが
シンプルで簡単なことになって

嫌だと思っていたことがそれほど嫌なこと
じゃなくなっていたりもするものだ。


良い人でいようとする
褒められようとする
必要以上にもらおうとする
ご機嫌を取ろうとする
気に入られようとする
嫌われないようにする

そんなエネルギーの無駄遣いをやめる覚悟も
なしに幸せになろうなんて甘かったよ。

何でもない物事を複雑で難しくて
大変なものにしていたのは私自身。

良い人でいようとする
褒められようとする
必要以上にもらおうとする
ご機嫌を取ろうとする
気に入られようとする
嫌われないようにする

なんて本当はやる必要のないことに
エネルギーを費やしてエネルギーの
無駄遣いをして

褒めてくれない人や
機嫌を直してくれない人や
思い通りのものをくれない人や
自分に対して期待した通りの対応を
してくれない人を責め非難したり
落ち込んだりするなんて茶番劇だよ。

生きることとか何かをやることって
もっと簡単でいいんだし
もっとシンプルでいいんだよ。

物事を簡単でシンプルなものに
できたなら

生きることとか何かをやるってことが
楽しくなってきて

今よりもずっとスムーズに
うまくいくようになっていくよ。