良い人を演じている自分と
良い人を演じながら非難し裁いている相手

その自分と相手とでは
どちらの方がより善人なの?

良い人を演じて悪者に見える相手を
得意げになって非難し裁いている
自分の心の中を覗いてみたら

恐ろしいものや醜いものが
沢山見つかった。

それは良い人を演じている時に言っている
言葉とは真逆のものばかりだった。

そこで良い人とは到底言えないような
恐ろしくて醜い自分の姿を知った。

私って、得意げになって非難し裁いていた
相手よりもずっと恐ろしくて醜い
悪人だったみたい。

いくら良い人を演じて見た目は誤魔化せたと
思っても人生は誤魔化せない。

誤魔化しの狂った人生が
続いていくだけだ。

誰かに対する非難の声は私自身に対する
私の苦しみの叫びだった。

自分の中から出てくる非難の声に
耳を傾けてみれば

どうでもいいところに価値基準を置いて
自分自身を窮屈な世界に閉じ込めて
自分のことを否定して苦しんでいる
自分に気づいた。

他人が何をして何を言っているとか
良い人を演じるとか、そんなことは
どうでもいいことだったんだよ。


"私は違う"
"私は悪くない"
"私は関係ない"

そう主張しながら否定し無視し続けてきた
目を背けたくなるほどに恐ろしくて醜い
自分自身を見つめて受け入れていったら

狂った人生が少しずつ整えられていって
良い人を演じるとか誰かを非難するとか、
そういうことがどうでもよくなっていった。

"私って、良い人じゃなくて
驚くほどにクズだったんだ"

そう言ってクズな自分を笑って
認められるようになった時から

誤魔化しのつまらない人生を終わらせていく
ことができるようになった。

そして何をしても分からなかった
自分の驚くほどの価値や素晴らしさを
知っていけるようになった。


他人って、驚くほどに関係ない。

関係ないのに毎回裁いて非難してしまい
干渉することをやめられないような他人って

狂った人生を整えていくための
キーパーソンだったりもするものだ。

自分って、驚くほどにクズだし
驚くほどに素晴らしい。

どちらか一方の自分を否定し隠そうとすれば
全くの別人を演じなければならなくなり
もう一方の自分も隠されることになる。

隠しても何も良いことなんてないし
むしろ損するだけだよ。

だから隠すことを諦めて
別人として狂った人生を生きることはやめて
自分の人生を生きて幸せになっていこう。