感情は扱い方次第で
凶器にもなれば宝物にもなる。

嫉妬非難怒り憎しみ悲しみの感情が
凶器から宝物に変わった時から
人生が好転していった。

感情をぶつけていた相手は感情が生じる
引き金になっただけであって
私の不幸とは関係なかった。

同じ他人に同じようなことを言われても
特に何の感情も生じない人もいれば
怒りや憎しみや悲しみといった感情が
生じる人もいる。

その違いは自分自身の中に感情を
生じさせる元になっている種があるのか
無いのかということ。

感情は私の中にある種の存在を
分かりやすく教えてくれていただけ。

いくら他人に感情をぶつけても種が
無くなってくれることはないわけで
感情に溺れることになるだけ。

自分の中に種が存在し続ける限りは
誰かが引き金となって感情が生じてくる
可能性が常にあるということになる。

引き金となる可能性のある人は
いくらでも存在する。

だからこそたまたま引き金となっただけの
他人が現れるたびに感情をぶつけていたら
キリがない。

感情を凶器にするのはやめて感情には
自分の中にある種にたどり着くための
案内人になってもらおう。

案内人がいなければいつまでも種に
たどり着くことができず種を取り除いて
いくことはできない。

不幸の原因となっている種を取り除いて
いくことができなければいつまでも不幸は
終わらない。

凶器にして他人にぶつけているものって
本当は不幸の原因を教えてくれる宝物。


他人の言葉は自分の人生をコントロールして
自分を不幸にすることなんてできない。

自分自身が招き入れない限りは。

感情を凶器にすれば自分の人生に
他人の言葉を招き入れていくことになる。

そして本来なら生じない
悩みや問題を作り出して

その悩みや問題を解決するために
本来ならやらなくてもいい苦労を
することになる。

感情が凶器になっている時って
感情を誰かにぶつけたり悩みや問題を
解決することに必死になっていて

自分がとんでもない荒波の中に
いるような感覚になる。

でも感情を自分の中にある種にたどり着く
ための案内人にして種を取り除いて
いったなら

悩みや問題なんて本当はなかったのだ
ということに気づいて自分が静けさの中に
いることを知る。


私の怒りや憎しみや悲しみの感情は私が
私のことを否定して冷淡に扱っていたから
こそ生じていたものだった。

私が感情をぶつけていた相手は感情が
生じる引き金になっただけの存在。

私が自分の人生に相手の言葉を招き入れて
過去から現在まで勝手に相手に振り回され
続けていただけ。

相手に感情をぶつけることをやめたら
感情を辿っていくことで私の中にある種に
到達することができるようになった。

感情は私が自分のどこを嫌い否定している
のかということを教えてくれた。

感情が教えてくれた自分の嫌って
否定している部分を認めて受け入れたら
悩みや問題がなくなった。

悩みや問題を解決しようとする
必要なんてなかったのだ。

ただ私が嫌って否定している自分の一部を
認めて受け入れたらよかっただけ。

種を取り除いてしまったら
私の不幸は終わったよ。

不幸を終わらせるのに憎しみの相手を
打ち負かしたり悩みや問題を解決する
必要なんてなかったのだ。


沢山の感情を凶器から
宝物に変えていった時から

憎しみの相手に翻弄されて
悩み・問題解決や復讐のために
生きるのではなくて

やりたいことをやって私の人生に招き入れ
たいと思う人達に囲まれて幸せになっていく
ために生きることができるようになり

人生が変わっていった。

憎んでいた相手じゃなくて
私のことを嫌って否定していた
私自身のことを許してあげた時

全ての戦いと不幸は終わったよ。

敵のようにしか見えなかった憎しみの相手は
何でもないただの他人になった。

もうあの人を思い出しても何とも思わないし
そもそもあの人が頭の中に現れることも
なくなった。