毎日が退屈で虚しくて
幸せだと思えなかった時

自分の生きるべき場所を知って自分の役割を
果たしていくことができれば幸せになれる
のに、と思っていた。

そしてとにかく何かを変えていかなければ
いけないと思い仕事や趣味を変えてみた。

でも私自身は何も変わっていない。

だからこそ変えたばかりの頃は新鮮でも
やがてはまた私の世界に馴染んでしまい
退屈で虚しい毎日が戻ってくる。

私は行為に依存していたのだ。

行為を変えただけで面倒な部分は変えない。

行為を変えることは簡単だ。

外側を誤魔化すことは簡単だ。

でも内側は誤魔化せない。

現実は容赦なく同じ景色を突きつけてくる。

仕事も趣味も他人を見ていかにも都合よく
人生を変えて幸せになることができそうな
ものを選んでいただけ。

特別な力を持っているように見える人や
活躍している人を見て自分も都合よく
そうなれると思い込んで飛びついただけ。

表面だけを見て飛びついただけ。


私がまずやるべきことは仕事や趣味を
変えることじゃなかった。

自分の不幸や退屈で虚しい毎日を誰かや
何かのせいにすることをやめた時から
仕事や趣味に対する姿勢や考え方が
変わっていって

周りの人達と良い関係性が築かれてきて
仕事や趣味を楽しいと思うことができる
ようになり

仕事や趣味を変えたいと
思わなくなってきた。

そうなると今いる場所が自分の立つべき
ポジションならまだそこに留まっていよう
と思うし

他に自分のポジションがあるなら
そこに移ろうと思うようになる。

だから私は退屈さや虚しさを感じた時
闇雲に行為を変えようとするのではなくて
まずは今いる場所で楽しみや幸せを感じる
ことができる自分になれるようにしている。

退屈や虚しさは今いる場所や周りの
人達のせいじゃないわけだから

どうせ行為を変えたって都合よく楽しみや
幸せがやってきてくれることはないから。

それにまずは自分自身が変わって今いる場所
を自分にとっての天国にすることが自分の
ポジションを知って自分の役割を果たして
いくための一番の近道だと思うから。

まずは今いる場所で自分が変わり
今いる場所を天国にしていく。

そこが自分のポジションならそこに
い続けたいと思うし

そこが自分のポジションじゃないなら
次なる道が見えてくる。

とにかく今いる場所で自分自身が変わって
いかなければそこが自分のポジションかどう
かも分からないまま。


いつまでも私の退屈で虚しい毎日が変わらず
私が幸せになることができなかったのは

"自分のポジションが分かれば
幸せになれるのに"

なんて言って自分の退屈で虚しい毎日や
不幸を場所や人のせいにしていたから。

プライドが高くて頼んだり反省したり
尋ねたりすることができない自分

自己肯定感が低く罪悪感にまみれていて
断ったり休んだりすることができない自分

仕事や趣味を変えてもそんな自分が
自動的に変わるわけじゃない。

毎日を虚しくて退屈なものにしている
張本人が変わっていないのだから

どこへ行って何をしても虚しくて
退屈だとしか思えない日々が続くだけ。

たとえ運よく自分のポジションに立てたと
しても自分自身が変わっていなければ

そのうち

"毎日が退屈で虚しい"

なんて言い出して
別の場所に移りたくなるだけ。


使命が自分を幸せにしてくれる、

なんてことを考えていたら使命探しに
翻弄されていつまでも幸せになれない
なんてことになってしまう。

だからこそまずは今いる場所で
自分自身が変わっていこう。

使命って、それを知りたいと思わなく
なったような時にこそ出会うものなんじゃ
ないかな。

知りたいと思うのはそれを知れば何かが
変わって幸せになれると思っているから。

でも本当は幸せだと思えないのは
使命が分からないからじゃない。

だからこそ今の自分のまま使命に出会えた
としても幸せだとは思えない。


毎日が退屈で虚しいとしか思えなかったのは
何かや誰かのせいではなかったし

自分の使命が分からないからでも
なかったよ。

どんな場所にいて何をしていようと
自分の使命が分かろうが分かるまいが

今いる場所で毎日を楽しく幸せに
生きることはできるもの。

自分自身が変わらなければたとえ使命に
出会えたとしてもそれを使命だとは
思えないか使命に振り回されることに
なるだけ。


自分が変われば同じ場所にいても
見える景色が変わってくる。

見える景色が変われば自分のポジションも
明確になってくる。

だからまずは今いる場所で自分自身が
変わっていって見える景色を変えていこう。