ずっと口調が穏やかで悪愚痴を言わなくて
他人に干渉しなくて優しくて、、、

そんな人達だけがいる場所で生きていけたら
いいのにと思っていた。

そして私自身そんな存在であるように
意識して生きていた。

でもそうじゃない人なんて当たり前に
いくらでもいるわけで

そんな人達に出会うたびに自分の生きている
世界や人に対して恐怖や絶望のようなものを
感じていた。

"私は口調が穏やかで悪愚痴を言わなくて
他人に干渉しなくて優しくてか弱くて
汚れのないキレイな存在

でもこの世界には邪悪で恐ろしい
存在が沢山いる"

自分がそんなことを考えていることに
気づいて驚いた。

"口調が穏やかで悪愚痴を言わなくて
他人に干渉しなくて優しくてか弱くて
汚れのないキレイな存在"

そんなわけがないじゃない。

そういう部分もあるかもしれないけれど
そうじゃない部分だって沢山あるよ。

私だって心の中には沢山の愚痴や不平不満を
溜め込んでいるし口調が荒くなることだって
あるじゃない。

それらを無いもののようにして自分のことを
汚れのないキレイな存在だなんて、、、
ただただ恥ずかしいし滑稽でしかないよ。

自分の都合の良い部分だけを見て私はキレイ
な存在だけれど周りは汚い存在だから私は
周りとは最低限しか関わらない。

そんなことを言っているからいつまでも
孤独なままでうまくいかなかったのだ。


自分の汚れを認めてしまったら他人の
汚れを見ても心が騒がなくなった。

ずっと恐ろしくて醜いと思って見ていた
存在は自分自身だった。

自分の恐ろしさや醜さから逃げ回ることを
やめてそれらを認めて受け入れてしまったら

恐ろしさや醜さに追いかけ回されなくなって
以前よりも世界や人を恐ろしいとは思わなく
なった。

私がずっと願っていたのは毎日を心穏やかに
安心して過ごしていくということ。

それは
口調は穏やかで愚痴を言わなくて
他人に干渉しないくて優しくて、、、

そんな人達だけがいる場所に行けば
叶うものだと思っていた。

私はずっとそんなありもしない場所を求めて
もがいていたんだけれど

本当はそんなありもしない場所を求める
必要なんてなかったのだ。

自分自身が変わってどんな場所でも心穏やか
に安心して過ごしていける自分になっていけ
ばよかったのだ。

自分自身の認めたくないと思っていた
部分を認めてしまったら

ありもしない場所を求めるなんて
無意味なことをしなくても願いが叶ったよ。


ずっと世界や人が怖かったのは私が
私のことを認めていなかったから。

自分の何かを否定すれば誰かを通して
その何かを見ることになり

否定すればするほどにその何かに追いかけ
回されることになる。

でも認めることができたなら自分の否定して
いた部分を誰かの中に見ても心が騒がなく
なるか

そもそも自分の否定していた部分を
見せてくる人に出会わなくなってくる。

無くならないものを否定して
無くそうとしてもがくよりも

無くならないものを認めて受け入れてしま
って誰にも何にも怯えることなく堂々と
心穏やかに安心して生きていけるように
なろう。

無くならないものを見せてくる人達に怯えて
そんな人達から逃げ回るのではなくて

無くならないものは認めて受け入れてしまい
自分の中に吸収してしまって

見たいと思うものを見せてくれる人達に
出会っていこう。

受け入れて認めることができたなら
非難したり逃げ回ったりするのではなくて
スルーできるようになる。

どうせ生きるならどんな場所でも大好きだと
思える人達を見てそんな人達と安心して
心穏やかに生きていきたいと思うんだよね。


自分の全てを認めて受け入れて愛することが
できていれば他人の言葉が凶器になる
ことはない。

自分を否定すればするほどにそれは
凶器が刺さって傷つく部分を増やして
いるようなもの。

だから世界が凶器に満ちたものに思えて
人が怖くなる。

恐怖から解放されたくて凶器を投げつけて
こない人達のいる場所を探し回るのだけれど
そんな場所なんてあるわけがなくて

生きるということや人と関わるということに
恐怖や絶望を感じるようになる。

でも本当は自分が自分のことを否定して
いなければ言葉は凶器ではなくてただの
言葉としてスルーできるようになる。

それに自分が自分のことを否定していなけれ
ば他人に凶器を投げつけるなんてことにも
ならない。

凶器を恐れている時って自分も凶器を
投げつけていたりするものだ。

世界が暗く見えていたのは自分が否定して
置き去りにしてきた沢山の自分の一部が
そこら中に散乱していたから。

でもそれらを一つひとつ認めて受け入れる
ことで回収していったら私の世界がどんどん
明るくなっていったよ。


愛や自分の価値が分からないのは自分が
自分自身の都合の良い部分だけを認めて
他の部分を否定しているから。

自分が思った以上に汚い存在だったのだ
ということが分かったら

自分って思った以上に愛されていて
素晴らしい存在だったのだということだって
分かるもの。

世界や人に対してただ恐怖と絶望しか
感じられなかったのに

開き直って自分の全てを認めて受け入れて
愛してしまったら

世界や人に愛や素晴らしさや面白さや
希望を感じられるようになって

誰かと関わるということや生きるという
ことが楽しみになったよ。


自分のありえないと思う部分ほど
認めて受け入れてしまったら

世界や人の見え方が変わってきて
結構面白いことが起こってくるものだ。