自分の闇を嫌えば
闇に翻弄されることになる。

嫌って否定すればするほどに意識してしまい
余計に闇を見ることになってしまう。

自分の闇を嫌っている時って意図的に
闇とは対極の存在を演じようとする。

そして他人の闇を見て非難したり裁いたり
することで"自分に闇はない"と主張する。

でもそれらは全て闇に翻弄されて
いるだけの行為。

善人を演じようとすればするほどに
善人には近づけず

闇に追いかけられる
ことになってしまう。

善人って、なろうとすることを
諦めた時にこそ近づいていけるもの。

そして自分の闇を認め受け入れた時にこそ
善人を演じる必要がなくなるから

善人になろうとすることを
諦めることができるもの。

闇を受け入れなければ
光が現れてくることはできない。

闇を否定して善人を演じようとすることは
自分の魅力や強味を抑え込むようなもの。


自分の闇って、受け入れようが否定しようが
別に他人に見えているというわけではない。

それに自分の闇を認めて受け入れた
からってそれを周りにぶち撒けるという
ことでもない。

だからこそ自分の闇を認めて受け入れても
困ったことは何も起こらない。

自分が勝手に認めて受け入れる、
ただそれだけのこと。

あとはいつも通りの日常に戻るだけ。

ただそれだけのことをすることが
できないがために

演じる必要もない姿を演じて自分の魅力や
強味を抑え込んでしまうなんて残念だ。

だからさっさと自分の闇を認めて
受け入れてしまって

本来の自分の姿を取り戻して自分にしか
できない役割を果たしていこう。


闇を嫌って否定するから苦しいのだ。

嫌って否定するからいつまでも闇に
追いかけ回されて翻弄されることになる。

嫌って否定するから他人の闇を
非難したくなり

他人に自分の闇がバレて非難されることを
恐れて益々闇を隠すために演じることを
やめられなくなっていく。

でも認めて受け入れることができたなら
もうそこで苦しみは終わるのだ。

隠すものが無い者は強いんだよ。

たとえ闇をつつかれても

"ああ、それ知ってるよ"

って言って前に進んでいくことが
できるから。

自分の受け入れたくないと思う部分や
自分の嫌いだと思う部分や自分の否定
している部分を認めて受け入れることが
できたなら世界が変わっていくよ。

他人は自分が否定している部分を
教えてくれているだけの存在。

だからこそ非難する必要も
恐れる必要もない。

自分が認め受け入れることができたなら
他人を見ても心が騒がなくなってしまう。

そしてずっと非難してきた人達と戦うのでは
なくて仲間になっていくことだってできる
ようになる。


"何故自分は善人なのに闇を持っている
あいつばかりがうまくいくんだ"

と思っていた。

いや、あいつは自分の闇を認めて受け入れて
ありのままの姿で生きているから
うまくいくいっていたのだ。

誰のことも非難せずにただ淡々と
自分の人生を生きるあいつの方が

善人を演じてあいつの闇を非難する
私よりもずっと善人だったよ。