元に戻る時って
ある程度の痛みを伴うもの。

でも痛みってできれば避けたいと
思うものだから

最もらしい理由をつけて
痛みを避ける道を選んでしまう。

痛みを避けている時って
どうしても意識が外側に向いてしまう。

内側に意識を向けてしまえば自分の
見たくない部分を見ることになり
痛みを感じざるを得なくなってしまうから。

だから外側に向かって自分の力を
アピールしたり外側の誰かや何かを
非難したり裁いたりしたくなるし

カッコつけたり強がったり
良い人ぶったりすることを
やめられない。



勝とうとすることをやめられないのは
痛みを避けているから。

痛みを避けて自分を見失っている時って
無価値感や無力感を感じているもの。

だからこそ勝つことで
自分の価値や力を証明したくなる。

自分以外の誰かや何かのことを
得意気になって非難したり裁いたり
優越感に浸ったりすることで

勝ったつもりになるということを
やめられない。

でも勝とうとするのは自分には価値や力が
あると思えていないからであって

勝とうとするのは自分には価値や力が
無いということを自ら証明しにいっている
ようなもの。

だからこそ勝とうとする限りはいつまでも
自分に価値や力があるとは思えない。

勝とうとした時点でそれはもう
負けを認めているようなもの。

自分の価値や力は痛みを受け入れていった
時にこそ知ることができるのであって

負けだと思っている道こそが
勝利の道なのだ。



治療するには痛みが伴うもの。

病気を治したいけれど痛みは一切
感じたくないなんて都合の良いこと
ばかり言っていたら

いつまでも病気は治らなくて
また終わりのない自分探しの旅を
始めることになってしまうだけ。

いくら自分以外の誰かや何かのことを
得意気になって非難したり裁いたり
してみても自分のことなんて分からないし

益々無力感や無価値を感じるようになって
外側へのアピールや攻撃が増していく
だけだ。

外側へのアピールや攻撃をしている時って
病気の状態なんだよ。

非難したり裁いたり優越感に
浸ったりすることは

自分を見失うことからくる苦しみから
逃れるための麻薬のようなもの。

自分が病気であることを自覚して
痛みの伴う治療を受け入れない限りは
一生病気は治らない。

病気が治っていく過程では必ず見たくない
自分の姿を見ることになるし知りたくも
なかった自分を知ることになる。

その痛みを避けていては自分を偽ったり
誤魔化したりすることをやめられなくて
自分や人生を見失っていくだけだ。



幸せになるのにカッコよくキレイに
生きる必要なんてない。

むしろカッコよくキレイに生きようと
するからこそ幸せを見失ってしまうのだ。

カッコよくキレイに生きようとして
しまうのは痛みを避けているから。

痛みを避けるから幸せを見失い
表面を飾り立ててアピールすることで
自分以外の誰かに幸せにしてもらおうと
してしまうのだ。

幸せは病気を治すからこそ感じることが
できるようになるのであって

病気のままではいくら表面の飾りを
認められたり評価されたりしたって
本当の意味で幸せを感じることはできない。

痛みを受け入れて病気を治す時
見た目がカッコいいかとかキレイかとか
そんなことは言ってられなくなるし

そんなことはどうでもよく
なってくるんだよ。

そして病気が治り元に戻った時
自分の価値や力を感じることが
できるようになって

非難や裁きや優越感という麻薬や飾りに
依存する必要がなくなってしまうというか
それらに興味すらなくなってしまうのだ。

非難したり裁いたり優越感を感じるための
道具のようになっている誰かや何かは
自分の幸せとは関係ないただのダミーだよ。

幸せになるのに飾りなんて必要ないし
自分の価値や力を感じるのに自分の
価値や力を証明しようとする必要なんて
ないんだよ。

だからもう痛みを受け入れて
飾りや麻薬に依存することをやめて

負けて負けて負け続けて
勝利していこう。