嫌なことを嫌だと言えないでいたら
最も自己中で恐ろしい存在になっていた。

嫌なことを嫌だと言わないでいると
いつまでも嫌なことに付き纏われる
ことになる。

でも嫌なことを嫌だと言う勇気なんて
ないからいつまでも嫌なことに付き纏われて

更には嫌なことを嫌だと言えないことが
ある度に嫌なことが増えていく。

それじゃあ苦しくて腹立たしくて
やってられないから

嫌なことを嫌だと言わないことを
美化することにした。

私は何でも笑顔で感謝して引き受ける
謙虚で優しい頑張り屋。


何でも笑顔で感謝して引き受ける謙虚で
優しい頑張り屋として生きていたら
幸せになれると思ったから

何でも笑顔で感謝して引き受ける謙虚で
優しい頑張り屋の役を演じて生きることに
したのに

いつまでも苦しくて嫌だとしか
思えない毎日が続くだけだった。

そんな毎日を変えたいと思って
新しいことを学んで新しいことに挑戦して
周りの人やモノに感謝して生きるように
してみた。

でも現実はちっとも変わらなくて
苦しくて嫌だとしか思えない毎日が
続いて朝目が覚めるだけでも憂鬱に
なるだけだった。

あらゆる手を尽くしたはずなのに
驚くほどに何も変わらなくて

もうどうすればいいのか
分からなくなった。

私は嫌なことを嫌だと言えない自分を
正当化するために自分が自分で設定した
役柄を演じているのだということを完全に
忘れ去ってしまっていたのだ。

そもそもその役は私が嫌なことを
嫌だと言うことさえできていたなら
演じる必要なんてなかった役。

役柄を演じている限りはそれに見合った
現実がどこまでも続いていく。

認めるべきことを認めて言うべきことを
言ってやるべきことをやっていかない限りは
苦しくて嫌だとしか思えない毎日が
続いていくだけだ。



本当は感謝なんかしていない。

むしろ私に嫌なことを押し付けてくると
思っている周りに怒りや憎しみの気持ちを
抱いている。

それに仕方なく嫌なことを
引き受けてあげているんだから

私の方が感謝される側じゃないのかと
思っている。

本当は行動して新しいことに
挑戦してるんじゃなくて逃げているだけ。

挑戦していることに興味なんてないし
挑戦していても楽しいとは思っていない。

無難にできることをやって行動して
新しいことに挑戦しているつもりに
なることで

これだけ行動しているのだから
いつか現実が変わるだろうと
思いたかっただけ。

興味があろうがなかろうが行動して
新しいことに挑戦していると思えることなら
何でもよかったのだ。

私は何でも笑顔で感謝して引き受ける
謙虚で優しい頑張り屋で

周りの人やモノを大切にして生きている
存在だと思っていたのに

本当は心の中に自分ではどうしようもない
ほどの怒りや憎しみを抱えた恐ろしい
怪物のような存在で

嫌なことを嫌だと言えないことを
周りのせいにすることしかできない
最高に自己中心的な存在だったのだ。

相手を傷つけるから、なんて言って
嫌なことを嫌だと言わないでいたけれど

相手を傷つけるから、ってのは
ただの言い訳だった。

結局自分が嫌われたくなくて
傷つきたくなかっただけ。

相手のことなんか全く考えていなくて
早く嫌なことをどうにかしてよ、
としか思っていなかった。


嫌なことって、ちゃんと嫌だと言わなければ
いつまでも自分に都合の良い役柄を
演じることをやめられず

どこまで自己中心的なモンスターに
なっていってしまう。

本音ってちゃんと言わなければ伝わらないし
ちゃんと言わなければ自分を嫌なことから
解放することはできない。

自分を嫌なことから解放するのは
あくまでも自分自身。

黙っていれば誰かが嫌なことを
全部取り去ってくれるのではない。

嫌なことって、本音を伝えていくからこそ

なくなっていくもの。


願いって、本音を伝えていく

過程においてこそ叶っていくもの。


そして本音を伝えていくからこそ周りが

自分に嫌なことを押し付けてくる存在

ではなくて自分の願いを叶えるための

サポーターのような存在だと思えるように

なるから


本当の意味で人に感謝し人を大切に

していくことができるようになるもの。



勇気が必要なこともあるけれど
どうせ生きるならやっぱり楽しく幸せに
生きていきたいから

言うべきことを言えない自分を
正当化することはやめて

自分のどんな本音も認めて
伝えていこうと思うのだ。