何かをすることができるから自分には
価値があって自分は認められているのだ。

何かを持っているから自分には
価値があって自分は認められているのだ。

賢いから自分には価値があって
自分は認められているのだ。

そんな風に自分の価値を認めるのに
自分以外の何かに依存していた時

その何かが崩れたら自分には価値がない
ということになってしまうと思って

その何かを守り通すことが人生における
最優先事項になっていた。

その何かを守り通すためならば苦しい
思いをしたって構わないと思っていたから

利用されているということが分かっていても
いくらでも自分を犠牲にしたしやりたくない
と思っていることでもやり続けた。

守り通そうとしている自分以外の何かが
自分の全ての価値を握っていると
思い込んでいたから

その何かを他人に見せることで
認めてもらおうとしていた。

そこに人と人との繋がりはなかった。

自分以外の何かを盾にして自分はその
後ろに隠れて生きているようなものなの
だから。

たとえ認められるようなことがあったと
しても認められたのは自分自身じゃなくて
盾の方。

だからこそいつまでも心は満たされなくて
認めてもらおうとすることをやめられない。

でも本当は

たまたま誰かに自分の何かを
褒められたり非難されたりしたことや

誰かに何かを褒められたり非難されたり
している他人を見たりしたことを
キッカケにして

その何かがあるから自分には価値があるとか
その何かが無いから自分には価値がない
などと思い込むようになっただけ。

何かがあろうが無かろうが
自分の価値は変わらない。

自分が勝手に頭の中で
価値があるとか無いとか、
価値が上がった下がったとか、

そんなことを考えて
喜んだり悲しんだりして
一人芝居をしているだけ。

盾があるから不自由なのであって

盾があるから本当の意味で自分の価値を
感じることができなかったのだ。

いくら盾を飾り付けたり盾を強化したり
したって虚しいだけ。

盾はあくまでも自分の価値とは何の
関係もないただの盾でしかないのだから。


あらゆる盾の後ろに隠れることをやめた時
そこには大したものなんて何も持って
いなくて大したことなんて何もできない
ような自分の姿があった。

盾がなくなった途端に一気に自分が
無力な存在のように思えて

またどこかに隠れたいような
気持ちになった。

これまで私が堂々と生きることが
できていたのは盾があったから。

盾が無くなったらもうカッコつけることも
自分を誤魔化すこともできなくなった。

でもだからこそ自由になった。

盾を守ることを最優先事項にすることで
諦めざるを得なくなっていたことを
やっていくことができるようになった。

盾を守るために続けていたやりたくない
ことをやめていくことができるように
なった。

盾なんて無くても何も
困ったことなど起きなくて

むしろ人生で初めて自分という存在
そのものが認められ愛されることの喜びを
味わうことができるようになった。

もう自分に価値があるのか無いのか
なんてことは考えることすら
なくなってしまった。

生きているだけで自分の価値を
感じることができるようになったから。


特別な何かを手に入れたり
特別なことができるようになったりすれば
自分に価値があると思えるようになる
なんて考えていたら罠にハマってしまう。

人より多くのものを持っていて
人より多くのことができるように見える
人でも無価値感を感じている人はいる。

何も特別なものなど持っていなくて
何も特別なことなどできないように見える
人でも自分に価値を感じて幸せに生きている
人はいる。

全ての存在には価値があって
その価値は無くなったり増えたり
減ったりするものじゃない。

それは条件に左右されることのない
不動の真実。

存在価値って

善い行いをしているような人も
悪い行いをしているような人も

どちらも変わらず
同じようにあるもの。

価値を外的な条件に依存していたら
どんどん罠にハマっていってしまう。

自分に価値があると思えないのは
考え方や生き方がズレているから。

ただそれだけ。

自分の価値って、
求めるものじゃなくて
気づくもの。

求めれば求めるほどに
感じられなくなる。

求めることをやめて"既にある"ということを
認めて生きるようになった時感じることが
できるようになり

"本当にあったのだ"ということに
気づくことができるようになる。

既にあるものを無いことにして
自分を苦しめるのはもうやめよう。

価値を求めて人生を無駄にするのは
もうやめよう。