同じものに触れても生じる思いや感情って
人によって、また家族でさえも驚くほどに
違っているものだ。

でも先に同じものに触れた人の
思いや感情を聞いてしまうと
ついそこに合わせてしまいがちになる。

自分の思いや感情が他人と違っていたら
段々と自分の思いや感情が
押し潰されていって

他人の思いや感情を自分の思いや
感情として採用してしまう。

そのうち他人の思いや感情を採用した、
ということを忘れ去ってしまい

はじめに自分の中から生じた思いや
感情がなかったもののようになる。

特に大勢の人や影響力がありそうな人の
言葉を聞いてしまうと

何の迷いも疑いもなく即座に自分の思いや
感情を捨てて彼等の思いや感情を
採用していたりもするものだ。

他人の思いや感情を採用していると
必ずどこかで違和感や歪みが生じる
のだけれど

正直その違和感や歪みって
無視しても生きていけるし

すぐに困ったことになる
というわけでもないから
つい放置してしまいがちになる。

でも違和感や歪みを放置していると
順調に自分の道から外れていき

気づいた時には自分のことや
自分の道が分からないなんてことに
なっている。


大勢の人や影響力がありそうな人の言葉を
採用していたら安心できるような気も
するけれど

本当に大切なのは何かに触れた時に
自分の中から生じてきた誰の言葉にも
影響されることのない純粋な思いや感情。

大切なのはそれだけ。

自分の純粋な思いや感情が大勢の人や
影響力がありそうな人のそれとは
違っていたり

たとえ自分の純粋な思いや感情と
同じ思いや感情を持っている人が
周りに1人もいなかったりしたとしても

自分の中から生じてきた
純粋な思いや感情を守り抜いて
それを採用していこう。

別に採用するのにいちいち他人に
説明したり許可を取ったりする
必要なんてないのだから

そっと自分の中で守り抜いて
採用していけばいい。

大勢の思いや感情じゃなくて自分の純粋な
思いや感情こそが自分の道を歩むにおいての
道標になってくれるのだ。

自分とは異なる道を歩む他人の思いや
感情を採用してもただ道に迷うだけ。

目に見える数や大きさに圧倒され
惑わされないようにしよう。

油断していると特に何も考えずに
大勢の人や影響力がありそうな人の
思いや感情を自動的に採用するって
ことが癖になっていたりもするから。

本当はつまらないと思っていたり
ちっとも魅力的だとは思って
いなかったりするのに

数や大きさに圧倒されて選び続けて
自分を苦しめるのはやめよう。

自分の中から生じてくるものを
信じて採用する強さがあれば
道に迷うことがなくなってくる。

もっと自分の感覚を信じて
自分だけの道を歩む楽しみを
味わっていこう。