感情って宝物。

だから大切に扱っていけば
人生は好転していく。


無価値感に苦しみ

"気に入られるようにしなきゃ"
"嫌われないようにしなきゃ"

そう思って生きていた時
感情を感じないようにして
生きていた。

本当は酷い・悔しいと思うことを
言われて怒りや悲しみの感情を
抱いているのに

"気に入られるようにしなきゃ"
"嫌われないようにしなきゃ"

って思いに囚われて
無理矢理笑顔を作って
良い人ぶって

家に帰ると周りに気に入られることが
できなかった自分を責めていた。

更には
"感謝をしなければ
幸せにはなれない"
なんて考えに囚われて

怒りや悲しみの感情を押し殺して
酷い・悔しいと思うことを言われている
ことに対して無理矢理"感謝します"
なんて言っていた。

そうやって感情を無視して
感じないようにしていると
自分を見失っていく。

感情って自分のことを知る
手掛かりだから。


ある時怒りや悲しみの感情を
押し殺すことにも限界がきて

怒りや悲しみの感情が
爆発した。

そしてそのまま表に現れてきた
怒りや悲しみの感情を受け入れて

何故その感情が生じるのか
ということを考えていくと

私は自分が冷淡に扱われたことに対して
怒りや悲しみの感情を感じている
ということに気づいた。

怒りや悲しみは
"私はそんな冷淡に扱われる存在じゃない"
と思っているからこそ生じたもの。

だからこそ
自分を責めたり無理矢理感謝をしたり
することでそんな怒りや悲しみの感情に
蓋をしてなかったことのようにするのは

冷淡に扱われることを受け入れて
"自分は冷淡に扱われるような存在だ"
と言っているようなもの。

私がいつまでも無価値感しか感じられず
いつも自分だけ冷淡な扱いを
受けているようにしか思えなかったのは

私が自分自身の存在を落としめて
自分自身に対して冷淡な扱いを
していたから。

本当はちゃんと怒りや悲しみの
感情を受け入れて

"私はそんな風に扱われる存在じゃない"

って主張しなければなければ
ならなかったのだ。

いくら他人に気に入られようが
いくら他人のご機嫌をとろうが

私がちゃんと怒りや悲しみを感じて
自分自身に対する思いや扱いを
変えなければ

永遠に無価値感からは
解放されない。

気に入られることとか
嫌われないこととか

そんなことは重要なことでも
何でもなくて

そんなことに価値や喜びを
見出している場合じゃなかったのだ。

私は怒りや悲しみの感情を受け入れて
自分自身に言ってやった。

"私のことを冷淡に扱うんじゃねーよ"
"私は冷淡に扱われるような存在じゃない"

そうして自分自身の目を
覚まさせていった。


私が私自身を認めていくことが
できるようになったら

もう他人に認めてもらう
必要がなくなって

"気に入られなきゃ"
"嫌われないようにしなきゃ"

なんて思いがなくなった。

目が覚めたら私の世界から私のことを
冷淡に扱う存在がいなくなっていった。

たまに私のことを冷淡に扱ってくるような
言葉が飛んできても見事にスルーする
ことができるようになった。

こうして私は
無理矢理の感謝・自己否定をして
無価値感を感じ続けるゲームから
無事に脱出した。

ゲームから脱出するヒントは
私がずっと感じることを避けていた
怒りや悲しみといった感情にあったのだ。

従わなきゃいけない相手なんて
どこにもいないし

誰かに気に入られなきゃ
生きてちゃいけないような
人なんてどこにもいない。

自分の世界を不幸にしている
黒幕は自分自身。


感情は宝物であって
感情は本来の自分の姿に
戻っていくための道標。

私は感情を通して自分でも知らなかった
自分のことを知ることができ

沢山の思い込みを外して
人生を変えていくことができた。

そして感情に蓋をして生きていた頃の
自分と比べると別人のようになった。

でも本当は別人になったんじゃなくて
ただ元の姿に戻ったってだけのこと
なんだけどね。


宝物は他人にブツけるのではなく
自分自身の目を覚まさせるために
用いていった時に効力を発揮してくれる。

一歩ずつでいい。

あらゆる感情を受け入れて
感じ尽くして自分を知り

今いる場所から
元に戻っていこう。