食べたいと思ったら食べる
休みたいなと思ったら休む
トイレに行きたいと思ったら行く
やってみたいと思ったらやる
伝えたいことがあるのなら伝える

健康がとか、
カロリーがとか、
時間やお金がないからとか、
人目が気になるからとか、
面倒くさいからとか、
もう大人だからとか、
後でいいやとか、
また機会があればでいいやとか、、、

そんなことを言って
自分の願いを無視していたら
自分の機嫌がどんどん悪くなっていく。

多少の不機嫌なら何とか
誤魔化せるけど

不機嫌を放置し過ぎると
必ず何かをキッカケにして
感情が爆発する。

自分の不機嫌は自分が自分の願いを
無視してきた結果なのに

たまたま感情が爆発するキッカケになった
相手が自分を不機嫌にしたのだと
思い込み相手を責める。

でも本当は自分のご機嫌を
とるのは自分自身。

自分のご機嫌をとれていない時って
心が満たされていないから

どうしても周りの人達に要求する
思いが生じてきてしまう。

だから人間関係においてはどうしても
相手が自分の要求を満たしてくれるか
満たしてくれないかということで

自分のその相手に対する
思いや対応が決まってしまったりする。

すると本当は大切にすべき人を
大切にすることができない
なんてことになってしまう。


今すぐには対応できない願いだとしても
できる範囲内で自分の願いを
満たしていこう。

そうすればいつも心が満たされている
状態でいられるから不機嫌にはならないし

見当違いな相手に感情をブツける
なんてことにはならないから。


自分の中から出てくる願いって
叶えていくのに"面倒くさいな"とか
"勇気がいるな"と思うことも沢山ある。

言い辛いと思うことを伝えたり
頼み辛いと思うことを頼んだり
しなければならないことも出てくるし

一気に叶えることが出来なくて
段階を踏んでいかなければならない
こともあるから。

でもちゃんと自分の願いを
叶えるために動いていたら

本当の意味で人に優しくなれるし
人を大切にすることができるようになる。

自分の願いを聞いていると
"私ってワガママだな"
って思うことや

"私って細かくて面倒くさいヤツだな"
と思うこともある。

これまでは自分の願いを無視して
自分がいかにも良い人見えるようなことや
褒められるようなことばかりをやって
大人ぶって生きていたけれど

本当の私は無邪気でワガママな
子供のようだった。

大人ぶって褒め言葉をもらおうと
するような生き方をやめて

自分のありのままの姿を認めて
自分のワガママや細かい要求を
聞いていってあげたら

心が満たされ幸せを感じることが
できるようになり毎日ご機嫌で
いられるようになった。

そして人間関係も
うまくいくようになった。

これまで自分のワガママや細かい
要求を満たすために自分では
一切動くことなく

周りに要求ばかりしていたのかと
思うと恥ずかしくなってくる。

そんな恥ずかしさを感じるたびに
自分の願いを叶えていくために
ちゃんと動いていこうと思わされる。


自分の価値や幸せって
見た目や持ち物や評価や、、、
そんなもので決まると思っていたし
どう考えてもそうだとしか思えなかった。

だから見た目を磨いてより多くの
持ち物や評価を得られるように
生きていた。

それで頑張って生きている
つもりだったのに

本当は見た目や持ち物や評価なんて
もののために自分の沢山の願いを
無視して自分を不機嫌にし続けていた
だけだったのだ。

でもちゃんと自分を不機嫌にしない
生き方をしていったらいつも心は
満たされるようになって

本当の意味で人を大切にすることが
できるようになったことで人からも
大切にしてもらえるようになり

自分の価値なんて嫌でも感じることが
できるようになったし見た目や持ち物や
評価への執着もなくなってしまった。

それに自分の願いのために動いてくれる
自分をリスペクトする気持ちさえ生まれて
自分のことが好きになっていった。



人間っていくつになっても
その本質は無邪気な子供なんじゃ
ないかな、とよく思う。

常識みたいな大人ぶることを強いる
幻想に囚われず

自分の無邪気さを認めて無邪気になれる
人こそが子供みたいにどんどん願いを
叶えていって

子供みたいに魅力的で愛される存在に
なるんじゃないかなと思う。

比較も裁きも常識という幻想に囚われて
無邪気さを忘れて大人ぶることで
生じているトラップだ。


願いを叶えるっていうと
自分のことを一気に幸せにしてくれそうな
大きな願いのことを考えがちだった。

そう考えていた時は大きな願いさえ
叶えば幸せになれると思い

大きな願いに対して
物凄い執着があった。

でも本当に大切なのはずっと無視
し続けてきた日常の中にある
沢山の小さな願いだった。

それこそが心と体の苦痛を生み出して
自分を不機嫌にさせ

自分に幸せを感じられなくさせて
いたのだから。

そんなわけで私は一旦大きな願いだけを
叶えようとすることをやめて

無視し続けてきた小さな願いを
叶えていくことにした。

すると心が満たされるようになっていき
何かによって心を満たしてもらう
必要がなくなったから

大きな願いへの執着が段々と
なくなっていった。

そうして幸せを感じることができる
ようになり大きな願いを忘れた時に限って
大きな願いが叶ったりもするんだよね。

大きな願いって

"叶おうが叶うまいが今幸せだから
別にどっちでもいいや"

ぐらいの意識でいたなら
ちょうど良いタイミングで
叶ってくれるようなものなのかな。

だからこそ自分を

"叶おうが叶うまいが今幸せだから
別にどっちでもいいや"

という意識にさせてくれること

つまりは日常の中にある沢山の
小さな願いを叶えること

これは徹底していこうと思う。