ヒストリエ12巻 感想 

とりあえず落書き



※漫画の話で、史実の話ではありません

 ※ヒストリエ最新刊(12)ネタバレを含みます 


 【魔女か…?】 

とりあえず12巻は3回読みました。一度目はオリュンピアスに恐怖し、二度目は「よく考えてみればフィリッポスも大概では」と思い、三度目はエウメネスは確かに「詰めが甘い」なと…と、いったように印象が何度も変わってくるのが不思議な感覚です。ともあれ、オリュンピアス関連は鬼気迫る描写でした。オリュンピアス(紀元前375年~紀元前316年)に関しては史実からして背筋が凍るほど怖いエピソードがあるのですが、あくまでこちらでは漫画としてのお話をします。『ヒストリエ』においてほとんどのシーンにおいてオリュンピアスという存在は「悪女」という描かれ方をしていたと思います。

確か今までフィリッポスとまともに談笑していたのが6巻での数ページぐらいの記憶しかなく…それも「オリュンピアスの実弟の名前もアレクサンドロスという」小話の方が印象に残ってるくらいで、あとは物騒、ふしだらな描写が多かったと思います。暗殺の黒幕どころか(油断している所とはいえ)二回も刺殺していたり、若干、蛇の描写も相俟って化物めいた印象さえありました。(特に11巻では武装した男性を相手にしてるので…)ただ12巻、思いもよらない…というか「人としてあるべき描写」がきちんとあったのが非常に良かったです。

才覚ある格好良い男性に迫られて、ただ照れる女性としての姿。若いフィリッポスとの会話、オリュンピアスの普通の女性としての側面、どうしてここまで関係が拗れたのか。オリュンピアスが黒幕のようでいて、実際誰がどう何が問題だったのか。ただ対比として、だからこそおぞましい描写が際立ち、身の毛がよだつようでした。レオンナトスの「魔女か…?」という言い方がしっくりくるのですが、あくまでもとは普通の女の子、戦乱の世にうまれていなければ、普通の気難しい女性として、あるいはカリスマ的存在として生涯を終えていたのかもしれません。 

『ヒストリエ』はあくまでエウメネスが主人公の漫画で岩明均先生の創作部分(少年期)以降は正直、少し蛇足な印象すらあったのですが、12巻で更に1巻からの描写(アリストテレス)までもが回収されていき、更に『ヒストリエ』という壮大な名前に相応しい作品として昇華されていくような感覚です。 


 【止まっていた時が動く】

 5巻からようやく時が動いた感覚です。手塚治虫先生の『火の鳥』の振り子形式(過去と現在で収束する形)の時系列にも通じるような。というのも、5巻(44話)紀元前337年でフィリッポス、アレクサンドロス、レオンナトス、エウリュディケの会話があり、12巻で時はようやく紀元前336年となりました。紀元前の、それもたった一年の差異。今、この文章を書いていても驚きです。12巻を初めて読んだ時、「アレクサンドロスとアッタロスの発言が成り立たない」云々の描写は(別に最初から岩明先生の創作なので、気にすることではないし、それよりかは他の人物との会話がほしかった)とは思ったのですが、思い返してみればもうあったのです。 


 ・5巻(44話)紀元前337年フィリッポスの談笑

この時点でカイロネイア戦、エウリュディケの婚儀が終わっており、エウメネスの「王の左腕」(主人公)についての言及もある

 ※やや解りにくいですが、アルファベットを参照すればすべて誰が、いつ、エウメネス不在での「会話」が解る構造になっています

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 12巻(100話)紀元前336年エウメネス(主人公)視点で上記の描写がようやく終わった

…と、既に布石はありました。


100話前に44話を読んでみれば、足りないピースがはまるように巧いこと話が練ってありました。既にフィリッポスは杖をついており、杖の形でさえ一致して描いている徹底ぶり。思い返してみれば、フィリッポスが眼帯をしている理由も5巻表紙で、パウサニアスの兄の回想で台詞として出てくるだけで「直接的な描写」はありませんでした。

 ヒストリエ5巻は2007年のアフタヌーン掲載分、12巻は2024年発売ですから、『ヒストリエ』という漫画そのものが一種の歴史の重みすらあるような気さえ。因みに、2003年から連載開始で、作者がデビュー前に考えていたと考えると岩明先生の中では少なくとも20年以上、流動的な漫画業界の中で四半世紀もの間作品と向き合っていたとなると、本当に凄いことだなと…そもそもアナログ・デジタルで描き方も違いますから。 


 【エウメネスについて】

 さて、主人公のエウメネスに物語は収束していくはずなのですが、『ヒストリエ』はどこに着地していくんだろうというのは気になるところです。 




 「ば~~~~~っかじゃねえの!?」というネットで話題(ミーム)になった台詞は「エウメネス(回想)が将軍『ハルパゴス』について語ったこと」であって、自分は「友人に解りやすいようにああいう表現をした」という解釈です。本編には出てきません。劇中劇の劇中といいますか。エウメネスが不在(6巻~)の場合は群像劇として、エウメネスが主人公の役割の場合は長い回想(1~5巻)として。いずれにせよ、俯瞰して歴史を語っていることには相違ありません。物語の構造として、一人の人物の『回想「回想」(回想)』ぐらい。

 だから、いつかエウメネスが「過去を振り返るシーン」=「筆をとるシーン」=『ヒストリエ』で幕をおろすのではないかと思うのですが、それもそろそろ近いような気がします。ただ、善良な市民(新聞屋)を小馬鹿にするシーンがあったり、口論になるのがわかっててヘカタイオス(そもそも敵対してる人)を挑発したり…挙げ句の果てに少年期あれだけ(村を守るためとはいえ)奇策で大勢の人間を殺しておきながら、最新刊ではなんだか中途半端な人間性をみせてしまいます。ネアルコスから「詰めが甘いぞ」との指摘も尤もで、最初はあまりにエウリュディケの最期が衝撃的だったので、(いくらなんでもネアルコスの言い草はないだろう)とは思ったのですが、散々、エウメネスは心境で「バカか こいつは」と罵ったわりにはやすやすと見逃してしまう矛盾。その責任は指示したアンティパトロスや即座に動いたネアルコスにまわるので、シーンだけ切り取るならエウメネスが格好良いヒーローのようでいて、まったくそうではありません。またトラクスの戦いも彷彿させるようですが、エウメネスはトラクスのような非情っぷりにも、なりきれません。冷静になって読んでみると(なんでこいつは遅れてかけつけたヒーロー面してるんだ…)と感じる時すらあるぐらいです。

でも、実際コマ割りは凄く格好良い。天賦の才、漫画の歴史を担った岩明均先生の渾身の一筆。圧倒されました。筆が衰えていないどころか、現代にマッチしたまま、独自の表現の最たる域に達しているような。でも、洗練されたいっぽうで何故か正直、どこか迷いもある。でも、そこまで冷徹にはなれない迷い続けるエウメネスが、やはり嫌いにはなりきれません。

故郷に戻ってきた際に、ヘカタイオスから見つかって自分の剣の師匠である「バト」という名前を出したり、両親の墓碑に感謝をみせる割には、ゼラルコスの(理想化していない)顕彰碑を鼻で笑ったりと、正直主人公としてどうかと思うシーンは結構あります。ゼラルコスの描写に関しては、実際エウメネスと相性が多分よくキャビア(アンカタイオス)の保存研究なんかに従事していれば、まったく違う歴史があったのかなと思うほどです。ゼラルコスとタイミングが巧くいけば航海は恐らく成功しており、どれだけヘイトを買っていても後に高級食材(卵の塩漬け)に繋がるキャビアが生産されれば…酷い仕打ちをうけていた奴隷もほんの少しは報われていたのではないかと。ともあれ、エウメネスはただ傍観していただけであって、ゼラルコスを嘲笑するいわれはないどころか、そもそもエウメネス(カルディアでの殺人犯)の方がよっぽど反社会的で。ゼラルコスと長い間付き合いがあったであろうヘカタイオスが、急に消息を絶った商人を案じて、エウメネスが原因とみて過剰な防衛をするのも当然といえば当然です。ゲラダスに関しては正当防衛とはいえ、ヘカタイオスからすると信用のおける人物でカルディア(故郷)でも護衛としては信頼はおける人材だったはずです。「エウメネスの戦闘」は一見、格好良いシーンですが、確実に暗殺されてもおかしくない場所に帰ったのですから「復讐では?」と判断されてもおかしくないのです。ヘカタイオス(カルディアの責任者)側からすると正当なやり取りで、しかも日常的にゼラルコスの顕彰碑(カルディアの港)を見ているのですから。経緯はどうあれ、人の死を軽んじた時点で、エウメネスの倫理観は破綻している気もします。 

ただ、エウメネス(ヒストリエ)の描写として一貫しているのは「ただ単に本能的に先手を読んでるだけで、普通に涙をながす男の子」というカロン(父親的な存在)の解釈です。 




アスキーアートで有名ですが、これは一番エウメネスが感情を発露させたシーンで、母親の心残りとなる絶叫でした。12巻でも、エウリュディケのあまりに残酷な最期、および御付きの人の状況も察してか、流石に再び涙を流します。エウメネスはこれまで、いびつな泣き方をしていましたが、もしかしたら「普通に人として涙を流した」というのは初めてのことだったのではないでしょうか。あれだけお世話になったフィリッポスの暗殺を目の当たりにしながらも冷静であり続け、暗殺者パウサニアスの真意を聞き出そうとしました。ただ、よく考えてみれば犬にたして毒の実験をする際にも、何も起こらないことを寧ろ願っていました。冷静沈着であるようでいて、底の部分はわりと揺れがち…ひいては人間的なのが、エウメネス(ヒストリエ)という主人公なのかなと思います。 


 【「心のありか」の行方】

 長期連載なので一時期、未完の大作になるかと思っていたことが正直ありました。もう、12巻で終わっても良いと思えるぐらいの濃密さ、何よりエウメネスの精神の限界はありましたが、着地点はもう少し先になりそうです。残酷なシーンが多い作品ではありますが、だからこそ人間の倫理観が問われる展開が際立つ作品だと思います。自分はエウメネスがアリダイオスに玩具を作ってあげるシーンや、ディアデスさん(職人さん)との何でもない会話、アンティパトロスとパルメニオンが「マケドニア式将棋」を眺めるシュールな描写が好きだったりするのですが、歴史が決まっている以上なかなかそうもいきません。

 というか、漫画では描写はありませんが、そもそもアリダイオスに関してはオリュンピアスに毒を盛られていたという話も…

連鎖的に、瓦解していくのもまた、胸をうつものがあります。それこそ「心臓」(心のありか)のテーマのような。意図した描写なのかわかりませんが、エウメネスが若かりしフィリッポスを彷彿とさせる雰囲気がありました。ほんのすれ違いでエウメネスと未だ接点のないメムノン関連の動向も気になります。どのような形で物語が収束していくのか。また長くなりそうですが、これからも、エウメネス(ヒストリエ)を追い続けたいと思います。


 P.S. 

エウリュディケのシーンは『寄生獣』の加奈の描写を、ふと思い出しました。『寄生獣』が「右」(腕)の物語だとしたら『ヒストリエ』は「左」(腕)として対になってるのかもしれませんね。本棚でみたら過去(左)にいっても未来(右)にいっても、本質的な人間のありかたは変わらないという。悲劇も喜劇も英雄譚も日常も、凡てを引っくるめて、そこ(本棚)にあるのかなと。 


長くなりましたが、ではでは~

m(_ _)m