AKB48が、総選挙の投票券目的でのまとめ買いによりミリオンセラーだと言う。
商業的には有りかもしれないが、
純粋に音楽・歌を評価して購買してもらうと言う事ではなく、
歌謡界・音楽業界として見た時、はたして了なのだろうか、疑問である。
グリコのおまけや、丸美屋のフリカケの中に入ったエイトマンのカード欲しさに、商品の中身はともかく、とにかくおまけが欲しいというノリと同じ感じだ。
昔アイドルは、歌を歌い、映画に出て、ブロマイドを売っていた。
10代の子供達が当時のシングルレコードを買うのは、
けっこう貴重品で簡単な事では無かった時代だった中で、
ある意味、レコード業界を支えていたのである。
今はCD、或いはweb配信や着うた、はてはカラオケでの版権収入により、
音楽のセールスは評価されるのだろうが、
音楽業界、特に歌謡曲は、確実にレコードセールスにより支えられていたのだ。
日本の歌謡曲の歴史の勉強ではないが、
女性歌手の誕生は、大正時代から昭和初期と言われる。
特に、レコードに吹きこんでセールスするシステムに乗ったのは昭和初期であろう。
その創世期を支えたのは、東京の芸者衆だった。
芸者はその芸を磨きお座敷で披露していたが、その中の小唄が起源となった。
昭和8年頃に、戦前・戦中・戦後の歌謡界を支える超巨星が生まれた。
勝太郎と市丸である。
二人共霞町の芸者で、特に小唄を得意としていた。・
その前に昭和3年(1928年)4月にビクターの専属となった、
同じ霞町の芸者、藤本 二三吉の登場の後、
レコード会社が続く女性レコード歌手を探していた中で、
この二人が花柳界からスカウトされた訳だ。
勝太郎は,
1904年11月6日(明治37年)に生まれ、葭町の芸者からレコードデビュー。
小唄勝太郎を名乗りヒット曲を出し続ける。
昭和8年、『島の娘』でデビュー。
当時としては驚異的な50万枚のセールスを記録する。
しかも発売間もなく、軍事政権下の当局からの検閲で、
一部歌詞を変更するよう圧力のかかった時代での事である。
彼女の名前を不動にしたのが、「東京音頭」。
今や誰もが知っていて、お祭りの定番、
プロ野球スワローズの応援ソングとしても定着している。
作詞・西条八十、作曲・中山晋平と、正に歴史的・伝説の人々が関わっているのだ。
戦後も暫く活躍し、テレビにも出演、長く活躍したが、
1974年6月21日 肺がんにより69歳で逝去した。
対する市丸は、
1906年7月16日生まれで、やはり霞町の芸者からレコード歌手となった。
芸名は「江戸小唄市丸」として、
勝太郎とともに澄んだ高音の効いた小唄を基調にした曲でヒットを重ねていく。
当時で既に映画の主題歌としてのタイアップなど、斬新な活動を行い、
自らも多くの映画に出演し、その主題歌も歌った。
戦前の活躍はもとより、むしろ戦後はいち早くアメリカ的な音楽を取り込み、
「ブギ」や「ブルース」「ワルツ」が名に付く曲を出している。
1997年2月17日)に没するまで生涯現役を貫き、
66年間の歌手生活で吹き込んだ曲はのべ1700曲にのぼった。
芸者の修業として小唄を鍛錬した上でのレコード歌手であり、
やはり芸者として踊りや所作も一流のものを持っていたのだろう。
更に、ビジュアルも優れており、
歌手に、映画の女優にと多角的に活躍する様は、
正に現代のアイドルそのものと言える。
昭和30年代の日活青春スターの吉永小百合や栗原小巻、浅丘ルリ子にはじまり、
昭和40年代の南沙織、天地真理、浅丘みぐみ、桜田淳子、山口百恵、、、
と続くアイドルの原点は、やはり基礎力だったと思わせる。
一時沖縄アクターズスクールなど、子供の頃から英才教育を施し、
実力の伴うアイドルを多く輩出したが、
最近のアイドルは、スカウトやビジュアル系オーディションからが多いように思う。
芸者はある意味水商売である。
今の水商売の傾向はキャバクラだろうか。
ビジュアル優先で、基礎訓練の無い安直なキャラクターである。
従事する側もそうであり、享受する客もそれで良しとするのだろうか。
昔、銀座の高級クラブのホステスは、日経新聞を読み株価をウォッチすると聞いた。
歌手も同じ事が求められているのだろう。
能力のあるものが着飾って初めて人前で歌えるのではないか。
ビジュアル的に可愛いだけで、何でも許しちゃうような風潮が有りはしないか。
結局業界が自らの首を絞めているような気がしてならない、
憂慮すべき状況である。
握手券やら総選挙投票券付きCDを売っているようでは、
必ず業界で息詰まるだろう。
業界的視点で、AKBのメンバーには何らの罪は無いが、
プロデューサー側には猛省を求めたい。
でも、取りあえず、
ここでは昔のリアル歌謡曲を聴いて、癒されてみようと思うのだ。。
小唄勝太郎 『島の娘』(1973年の映像)
江戸小唄市丸 『天竜下れば 』(1971年の映像)
★卒業、卒団記念や大会記念にユニフォームストラップなどの記念品の紹介★
ABストア はこちら ⇒ http://www.fstj.jp/
★★★ストラップ、マグカップ、プリントTシャツ、千社札風木札、他多数★★★
商業的には有りかもしれないが、
純粋に音楽・歌を評価して購買してもらうと言う事ではなく、
歌謡界・音楽業界として見た時、はたして了なのだろうか、疑問である。
グリコのおまけや、丸美屋のフリカケの中に入ったエイトマンのカード欲しさに、商品の中身はともかく、とにかくおまけが欲しいというノリと同じ感じだ。
昔アイドルは、歌を歌い、映画に出て、ブロマイドを売っていた。
10代の子供達が当時のシングルレコードを買うのは、
けっこう貴重品で簡単な事では無かった時代だった中で、
ある意味、レコード業界を支えていたのである。
今はCD、或いはweb配信や着うた、はてはカラオケでの版権収入により、
音楽のセールスは評価されるのだろうが、
音楽業界、特に歌謡曲は、確実にレコードセールスにより支えられていたのだ。
日本の歌謡曲の歴史の勉強ではないが、
女性歌手の誕生は、大正時代から昭和初期と言われる。
特に、レコードに吹きこんでセールスするシステムに乗ったのは昭和初期であろう。
その創世期を支えたのは、東京の芸者衆だった。
芸者はその芸を磨きお座敷で披露していたが、その中の小唄が起源となった。
昭和8年頃に、戦前・戦中・戦後の歌謡界を支える超巨星が生まれた。
勝太郎と市丸である。
二人共霞町の芸者で、特に小唄を得意としていた。・
その前に昭和3年(1928年)4月にビクターの専属となった、
同じ霞町の芸者、藤本 二三吉の登場の後、
レコード会社が続く女性レコード歌手を探していた中で、
この二人が花柳界からスカウトされた訳だ。
勝太郎は,
1904年11月6日(明治37年)に生まれ、葭町の芸者からレコードデビュー。
小唄勝太郎を名乗りヒット曲を出し続ける。
昭和8年、『島の娘』でデビュー。
当時としては驚異的な50万枚のセールスを記録する。
しかも発売間もなく、軍事政権下の当局からの検閲で、
一部歌詞を変更するよう圧力のかかった時代での事である。
彼女の名前を不動にしたのが、「東京音頭」。
今や誰もが知っていて、お祭りの定番、
プロ野球スワローズの応援ソングとしても定着している。
作詞・西条八十、作曲・中山晋平と、正に歴史的・伝説の人々が関わっているのだ。
戦後も暫く活躍し、テレビにも出演、長く活躍したが、
1974年6月21日 肺がんにより69歳で逝去した。
対する市丸は、
1906年7月16日生まれで、やはり霞町の芸者からレコード歌手となった。
芸名は「江戸小唄市丸」として、
勝太郎とともに澄んだ高音の効いた小唄を基調にした曲でヒットを重ねていく。
当時で既に映画の主題歌としてのタイアップなど、斬新な活動を行い、
自らも多くの映画に出演し、その主題歌も歌った。
戦前の活躍はもとより、むしろ戦後はいち早くアメリカ的な音楽を取り込み、
「ブギ」や「ブルース」「ワルツ」が名に付く曲を出している。
1997年2月17日)に没するまで生涯現役を貫き、
66年間の歌手生活で吹き込んだ曲はのべ1700曲にのぼった。
芸者の修業として小唄を鍛錬した上でのレコード歌手であり、
やはり芸者として踊りや所作も一流のものを持っていたのだろう。
更に、ビジュアルも優れており、
歌手に、映画の女優にと多角的に活躍する様は、
正に現代のアイドルそのものと言える。
昭和30年代の日活青春スターの吉永小百合や栗原小巻、浅丘ルリ子にはじまり、
昭和40年代の南沙織、天地真理、浅丘みぐみ、桜田淳子、山口百恵、、、
と続くアイドルの原点は、やはり基礎力だったと思わせる。
一時沖縄アクターズスクールなど、子供の頃から英才教育を施し、
実力の伴うアイドルを多く輩出したが、
最近のアイドルは、スカウトやビジュアル系オーディションからが多いように思う。
芸者はある意味水商売である。
今の水商売の傾向はキャバクラだろうか。
ビジュアル優先で、基礎訓練の無い安直なキャラクターである。
従事する側もそうであり、享受する客もそれで良しとするのだろうか。
昔、銀座の高級クラブのホステスは、日経新聞を読み株価をウォッチすると聞いた。
歌手も同じ事が求められているのだろう。
能力のあるものが着飾って初めて人前で歌えるのではないか。
ビジュアル的に可愛いだけで、何でも許しちゃうような風潮が有りはしないか。
結局業界が自らの首を絞めているような気がしてならない、
憂慮すべき状況である。
握手券やら総選挙投票券付きCDを売っているようでは、
必ず業界で息詰まるだろう。
業界的視点で、AKBのメンバーには何らの罪は無いが、
プロデューサー側には猛省を求めたい。
でも、取りあえず、
ここでは昔のリアル歌謡曲を聴いて、癒されてみようと思うのだ。。
小唄勝太郎 『島の娘』(1973年の映像)
江戸小唄市丸 『天竜下れば 』(1971年の映像)
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