2週間前、ずっと闘病していたお友達の旦那さまから、訃報のお知らせを頂きました
彼女はこれまでも、いくつかの病気と向き合いながら頑張っていて
最初の長期入院の時は、毎日彼女に智くんの雑誌記事の画像を送ったり、他愛もないやり取りをしていました
やがて入院が終わり、やっと彼女もお家に帰ることができ
「普通の生活の大変さを実感するよ」
と言いながらも、彼女を心身共に支えて下さる、優しい旦那さまとの温かいエピソードなどをお話してくれて
私はその都度
「何て仲睦まじいご夫婦なのだろう(*ˊᵕˋ*)」
といつも、微笑ましい気持ちにさせてもらっていました
そして、少しずつ快復の兆しを見せる彼女に、これからまた楽しい人生を取り戻してほしいと切に願いました
でも、退院から少し経ったある日、ある出来事が起きたんです
私は霊感はないのですが、昔から不思議な写真や現象などをいくつも経験していて
その日、彼女からの贈り物に ありえない現象が起こったんです
と同時に、胸騒ぎがして
共通のお友達にも、嫌な予感がすると連絡しました
それから2週間後、彼女が突然 再入院したと連絡がありました
退院後も、「生きる為には必要だから」
と、辛い治療を受けることになり
それでも明るく前向きな発言で、むしろ私の方が元気づけられる位でした
だからこそ、彼女の辛い治療は何の為だったんだと、悔しくて涙が出ました
入院してから少しの間は、彼女からもよく連絡をくれ
「LINEもらえると嬉しいよ(*ˊᵕˋ*)」
と、いつも言ってくれていました
でも、段々内容が不明瞭になったり、途中で途切れることが増えてきて
昨年の9月の中旬から、こちらからのLINEが既読にならなくなりました
嵐さんの映画のパンフレットとお手紙を
「差支えがなければ、お見舞いの時に彼女にお渡しして頂ければ」
と、彼女のご家族宛に送らせて頂きました
それでも、ずっと連絡はなく
私はお風呂に入る度に、彼女の身を案じて涙する日が続きました
そして年が明け、先日のお葉書で 彼女が6月に、天国に還ったことを知りました
ご家族の方が付き添っておられたとは言え、連絡が取れない程苦しい状況の中、彼女は9か月も頑張っていたのだと、また泣きました
彼女は私のブログを読んで下さっている方で、それがきっかけでやり取りをさせて頂くうちに、かけがえのないお友達になりました(*˘︶˘*)
離れた場所に住んでいたので、実際に会う夢は叶いませんでしたが
会ったことがなくても、人はこんなに心を通わせることができるんだ。:°ஐ♡*
と教えてくれた、大切なお友達でした
彼女はいつも、自分が苦しい中でも 人のことを思い遣れる優しい人でした
いつも持ち前の明るさと優しさで、私の心を明るく温かくしてくれました
一昨年の私の誕生日には、震える文字でお手紙も書いてくれて
「やっとここまで書けるようになったの」
と話してくれて、私は彼女の温かい想いに泣きました
辛くて、本当は大丈夫でないのに、大丈夫という辛さ
私も病気を通して、少しは身をもって知っていたから
人のことを気遣って、いつもほとんど泣き言を言わない彼女を心配していましたが
そんな彼女が旦那さまの前では、涙を見せ 素直な気持ちを出せていたことも聞き、ほんの少しだけ救われた気がしました
Aさんと出逢えて、私はとても幸せだよ
本当にありがとう
これからもずっと、かけがえのないお友達だよ
私がこれからの人生で、苦しくて根を上げそうになった時は、もらった言葉を思い出すね
(*˘︶˘*).。.:*♡
ご縁を繋いでくれた智くんにも、感謝ですね(*ᴗˬᴗ)
私もいつか天に還る日が来たら、またたくさんお話しようね(*ˊᵕˋ*)
今は身体の苦しみから解放され、安らかに天国から大切な方たちのことを見守っていること
ご冥福を心からお祈り致します
寒さだけでなく、寂しさも堪える季節になったので、残されたご家族の皆さまも、無事守られますように
最後に、私は彼女を想う時、智くんが演じた
「今日の日はさようなら」が被るのです
彼女にこの歌を贈りたいと思います
<今日の日はさようなら>
作詞・作曲 金子詔一
一、いつまでも絶えることなく
友だちでいよう
明日の日を夢見て
希望の道を
二、空を飛ぶ鳥のように
自由に生きる
今日の日はさようなら
またあう日まで
三、信じあうよろこびを
大切にしよう
今日の日はさようなら
またあう日まで
またあう日まで