表題からいよいよ蛍に行ったかと思われたでしょうがそうではありません

実は、最近私の仕事場に、ただならぬ大きさの、あるものがやってきています

 

これです

 

工業用ミシン!

 

何を始める気かと思われましょうが

まあ、縁あって我が家にやってきました

 

香川からはるばるタケバン夫妻が軽トラに乗っけて連れてきてくれました

いわゆる、里子制度でしょうか?

 

ほとんど捨て子状態ですが・・・

 

今、私が針に糸を通せなくって

ユカリマンが代わって糸通しをやっています

 

私の眼にはもう、この針穴が見えません

 

針穴写真機もリアル針穴も久方触っていないので

残念な結果でした

 

試し縫いを始めたわけですが、試行錯誤の真っ最中

どこかが悪いのですが

 

それを突き止めるまでのお楽しみタイムです

 

まあ、そう考えないとやってられませんが・・・

 

で、今日は山崎氏の遺品整理がすべて終わり

ご遺族に送金しました。

 

肩の荷が下りました

 

少し夕方まで時間が空いたのでミシンに踏み込みます

 

おいおい、と思われるでしょうが

実は、私

 

物心ついた頃のおもちゃが「ミシン」でした

小さいころ叔母が、和裁学校を開いていて

なぜかミシンをいじっても何も言わず

小学校時分の夏休み明けに雑巾二枚各自持ってくるなどという

不思議な宿題はすべて自分で縫っていました

 

もちろん実家にもミシンはあり

勝手にボビンに糸を巻いて、面白くミシンを踏んでいました

 

踏んでいましたというものリアルで

足踏み式ミシンがあったわけです

 

小学校高学年になると、家庭科の時間があり

大変楽しく授業を受けていました

その頃のクラブ活動は手芸部

刺繡をやっていました・・・

*写真部へ入るのは中学校から

 

根っからの文系です

 

野球も相撲もサッカーもドッチボールも

全く興味がありませんし苦手でした

 

あれから数十年

それこそ大人になってから小学校の合同同窓会で

すでに退職されていた当時の家庭科の先生が私の元へ来て

貴方が男だったから、通信簿に「5」を付けられなかった

実技もテストもほぼ満点だったのに・・・

今でもそのことを悔いていて

いつか謝りたいと思っていた・・・

 

と言われました。

 

私は全くそんな事は気にも留めず

料理に刺繍に家庭科を満喫していたので

先生のカミングアウトにびっくりしました

 

先生他の授業の成績はひどいものだったので

全く気にもしていなかったし、そんな成績をもらったら

一所懸命の女子に恨まれましたよね~

と答えて笑ったと、記憶しています

オニ子というあだ名の家庭科の先生は安どしたのか

目に涙を浮かべて何度も謝ってくれました!

 

ミシンをいじっていて、久しぶりに家庭科の先生の顔が浮かびました

叔母もその先生ももう天国へ逝かれましたが

私を形作っている、なんだかの部品を二人に頂いたわけです

 

もちろん妻は私よりもはるかに器用なわけで

裁縫も手芸も

生活に全く支障をきたしてはいませんが

 

ちょっと作りたいものが出来ました

それがこのミシンをいじっている理由です

 

で午後ギリギリで蛍に出かけました

 

 

天の月が、お前!遅すぎると言っているようです

さすがに明るくなってきましたね・・・

 

さてどうなることやらです

 

続く・・・・