2024年GW始まりました

諸般のすり合わせがうまくゆかず、今年はキャンプを中止

まあ頭の三日・おしりの四日の休みですが

昔は一週間で沖ノ島へクライアント違いで三往復などという離れ業もありましたが

もう過去の苦行というか労働使役ですね

 

タクちゃんも私も暇なのは同じようです

金曜は二人で山崎さんを偲んで一日、お宅にお邪魔して後片付けをしていました

 

遺品のカメラを査定してくれる知人に丸投げし

スタジオ機材は長野県の業者さんに託す手配を付けたので

一安心?

一台だけ興味のあったカメラを残しました(今日のネタ)

 

昼からパネルの下準備

Y上さんに頼んであった部材を持って来てもらい

中桟(パネルを固定する枠)用の木材が無いというので

GW明けまでしばし待ちます

 

実はよんどころないところから1枚だけですが頼まれて

5月半ばまでに仕上げないといけません。

断れないお人よしです

 

早速コーナークランプで仮組中

 

さて本題ですが、処分を依頼された

売ろうにも売れないカメラが一台

 

KODAK DSC520

山﨑さんの遺品ですが、これいくらだったと思いますか?

 

200万画素、ボデーはCANON EOS-1n

 日本コダック株式会社は、キヤノンEOS-1Nをベースとし、200万画素のCCDを搭載したプロ用デジタルスチルカメラ「コダック プロフェッショナル DCS 520デジタルカメラ」(以下DCS 520)を1998年3月下旬から発売する。希望小売価格は198万円、専用バッテリーは3万円 

 

お判りですか?

1画素1万円ですね!

 

 

 

今の一億画素機なら1億円という計算ですが

沢山作られると安くなる法則にのっとって・・・1億画素でも100万円

 

バッテリーは当時ですのでニッカドが一本とニッケル水素が二本残されていました

こればっかりは、火災の恐れがあるので

車庫でテストしましたが、やはりどうも充電は出来ません

液漏れも無かったので、もしやと思いましたが

ダメでした

30000円x3本のゴミでした

互換バッテリーも探しましたがさすがに無いですね

この時代は2G程度が一番大きなCFカードでしたが

PCカードへCFカードを挿してボデーへ入れます

 

バッテリーが使えないのでACアダプターの出番

胸は高まります

 

ジャックを差し込むと!

 

カメラが起動しましたが・・・

 

残念ながらシャッターは切れず

CFカードへもアクセスできません

 

空シャッターすら切れないのが残念ですが

このカメラはデジタル一眼なので

フィルムカメラとしても売れません・・・

 

 

今は、もう動かない、おじいさんのカメラ~

 

製造から25年で使えなくなるカメラなんて・・・

一発芸のぽっと出家電並みですよね

しかもどんな家電より高額

 

デジタルセンサーの仕組みはKODAKの社員さんが発明します

上司の理解を得られずKodakは結局倒産

それを日本人が世界を席巻するカメラ産業にまで押し上げたのです

反日運動や日本製品の排斥をやろうとしても

メディアも含め日本製のデジタルセンサーを使わないといけない世の中です

*ビデオも含む

 

話がそれました

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>>コメントを頂きましたので転載します

 

>デジタルセンサーの仕組みはKODAKの社員さんが発明します
>上司の理解を得られずKodakは結局倒産
>それを日本人が世界を席巻するカメラ産業にまで押し上げたのです

大変コンパクトに書かれていますが、これでは内容が少々違って伝わってしまう様に感じます。

実際、コダックが発明したのは「ベイヤー配列」で1970年代に開発されていました。
コダックはこれを「危険」と思い封印しました。

その後、ビデオカメラで使用される様になり、1990年頃に「電子スチールカメラ」として静止画で使用する様になりました。

その後1995年頃に現代の形になるデジタルカメラが発売され、写真のデジタル化が急速に進み、2012年に倒産に至ります。

「上司の理解を得られずKodakは結局倒産」では無く「ベイヤー配列が写真のデジタル化を加速し倒産」と考えるのが自然ですね。 

 

はい、端折り過ぎました。

ご指摘は正しい歴史です

 

少し加筆しますと

>>コダックがこれを「危険」と思い封印した

というのは

* 世界初のデジタルカメラの試作機を1975年に開発した人物は、

コダックのエンジニア、スティーブ・サッソン 氏に間違いありません

これが今のベイヤー配列の礎にあたりますが

『ニューヨーク・タイムズ』紙でのサッソン本人へのインタビューでは、

開発したデジタルカメラについて経営陣から返ってきた言葉は、

「面白い。でも誰にも口外するな」

という風に書かれていましたので、しばし彼の発明は

会社の上役に黙殺されてしまうわけですね(後日談です)

この1975年の翌年1976年に今の「インスタントフィルム裁判」

が勃発します

ポラロイドがインスタントフィルム(カメラ)については

特許侵害だと裁判を始め1991年に

ポラロイド社に対して約10億ドルの支払いを命じられて裁判は幕を閉じます

12件の特許侵害の訴訟の内7件が認められたという事です

日本円に直すととんでもない金額です、そこから約10年

2012年に破産法を申請しすべての特許を売却したKodakです。

裁判の賠償金を支払いその後の10年ほどの間に

(1995年)Casioが「QV-10」を発売しています

*フジが発売しなかった 「FUJI DS-1P」(世界初のデジタルカメラ試作機)

 もすでにありました。

 

長くなるのでコダックの歴史をあまりにも圧縮したことを

反省し加筆訂正させていただきます。

 

コメントありがとうございました

歴史の「もし」はいつも考えます・・・

Kodakにはお世話になった世代です。

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GW初日はパネルの一部仕込みと遺品整理でほぼ一日潰れました

 

さて、このカメラどうしましょうかね?

最後はヤフオクでしょうが

 

これだけは飾っておこうかな?

 

私がすぐに移行しなかったデジタルの波に

山﨑さんは早く乗っていたわけですね

私も印刷屋さんにこの一つ前の機種を持ち込まれ

しばらく自由に使ってくれと言われ

ドキドキしながらスタジオで使用したことを思い出します

 

私のファーストデジタルカメラはコンデジのNikon

そこからD100でデジタル移行を果たしました

もうフィルムへ帰る気はなくなってしまいましたし

体力も財布も続きそうにありません・・・

 

いつかあの世で事後報告をさせていただきます

 

残念です

持ち主と運命を共にしたカメラなんでしょうね。