友人が残した1984年の中国の旅も
もうすぐ終わります
なにがしかの形で、友人の旅にお付き合いいただきました皆様には
大切な時間を頂戴いただきましてありがとございました
これが最終回ではありませんが
奥様から、このネガが役に立てれば光栄です
というメモ書きをネガと一緒にお預かりしました
さて重慶から荊州まで長江を船で移動しています
* 日本ではかつて「揚子江」 と言われている川ですが
長江は揚州より下流の一帯を揚子江と言い慣わしていました
揚州から上海の北側、黄海へそそぐ下流域のことです
現在は三峡ダムができてしまって、ダム以降が船で移動できなくなっていますが
今も長江の対岸への交通手段は船が沢山出ています
また、この頃はいかだで対岸へ渡るという猛者も居ました
今日はその三峡下り1984年バージョンをずらっとお楽しみください
重慶からの三峡下りが無くなったわけではなく
https://www.chongqing.cn.emb-japan.go.jp/itpr_ja/sanxiayou.html
日本領事が今もこの船旅を楽しんでいるようです
友人が乗った船は観光ツアーではなく、一気に下流の町まで移動するものですが
船で寝泊まりしないと終点へはつけません
長江のいたるところで見られる小さな港の「渡し」風景
う~~~~んたまらん!(萌えるじじい)
だんだん民家が無くなります
この石宝寨は重慶中心部から約150キロ下流の忠県に位置し、建物は断崖の岩を削ったところに作られた木造建築物で、高さは56メートル。明代山頂に3階建ての寺院が建築され、清代に9層の楼閣が増築され、さらに1956年に3層を増築して12層に改築されました。 楼閣からは長江の流れと周りの山々の風景を満喫できます。
船中泊の船旅になるので、太極拳で体を鍛えていますね
この人民服ももう見られませんが私も記念に買って一着持っています
どこかの船着き場ですね
大勢の人が見受けられます
今もここらへんは変わらない風景でしょう
帆船も多く見受けられる風物でした
桂林の漓江下りも、登りは人力で船を上げるという力技が見られましたが
これだけの水量ですので風に頼ったほうが良いでしょう・・・
この船は、三峡だけの観光用の船でしょう・・・
流石に寝室がある船には見えません
今も昔も、お客さんで一杯
何か見ていると思ったら、摩崖仏でしょうか?
三峡とは、長江(揚子江)が四川・湖北両省の境にある巫山(ふざん)山脈を浸食してつくった長さ204キロメートルに及ぶ大峡谷。その中の瞿塘(くとう)峡・巫峡(ふきょう)・西陵峡の三つの険しい峡谷の総称が三峡です。長江沿いには三国誌の舞台となった遺跡や寺廟が点在し、長江沿岸の風光明媚な景色、断崖絶壁の絶景を楽しみながら、 三国時代の遺跡めぐり という役割も持っています
軍人も写っていますね
彼らはすべてにおいて優遇され、混雑を避けたチケットの購入や優先窓口があります
彼の三峡下りはこれで終わっていましたが
昔の記憶で、乗船口のごたごた(大混雑)を見た覚えがあるのですが
ネガが散逸しており、抜けている部分もありました
全てを見られなかったのは残念ですが
私も三峡を訪ねてみたくなりました・・・
旅は大詰めで
この後三国志の大舞台「荊州」へ
荊州から武漢までも船で行ったのではと考えますが
そこの写真がまったくなく
武漢でも船に乗って移動しているカットがあるので
船かな~と言うところです
荊州から武漢-南京と帰路
上海までを残すばかりです