1984年に個人旅行で成都へ行った彼は
「公安外事課」で、この週に拉薩が乙種開放都市になったことを知ります
*中国国内を個人で旅行をする場合、場所によっては許可が必要だし
公安でもらうルールがあります。すぐくれる方と、開放になっただろうと言っても
駄目の一点張りの係員にあたると地獄で、時間をずらして何度もチャレンジ
したりするのです。
当時、拉薩は特別な許可証で、旅行ができる「準開放都市」です
中国のチベットシンリャク(自動検索回避のため文字を混ぜます)が進み
私の知る限り、個人旅行ではまだチベット族か中国の漢民族に紛れて
闇で入境せざるを得なかったチベット自治区の門が開かれた最初の瞬間だと思います
西蔵(チベット)については書きたいことがいっぱいありますが
ここでは彼の旅行記にとどめます、ご了承ください
成都・ラサ間は東チベットの上を飛び。険しい山々が見えています。この区間は外国人には非開放のため陸路移動は絶望的に不可。
有名な山はミニヤコンカや梅里雪山(ここは後年行きました)がありますが残念ながら
見えませんね~。チベット自治区の上空あたりからはご覧の様にスエンヘディンが「トランスヒマヤラ」と言いえた雪景色が続いています。
来古氷河を見下ろして後 ナムチャバルワ(南迦巴瓦峰)、標高7782m が見えたはずです
7800mクラスの山を越えていますが、飛行高度が10000mほどですから、2200m下に
7800mの山頂が見える計算になりますね。
いよいよ滑走路へ進入です
高度が下がってきました
無事拉薩空港へ着きました
下の写真も彼ではなく、チベットをしんりゃくした人民解放軍の軍人ですね
政治が悪いわけで、このかたを責めているものではありません・・・
いや、この話も止めましょう・・・
市内迄のバスから、乗り合いのトラクターを写していますが
多分道路工事などの人員を運んでいるのだと思います
*乗り合いトラクターもありますが、服装から類推
退色している40年前のネガカラーを
Photoshopのニューラルフィルターを使って復元しました
チベット族の巡礼のかたがたですね
向かって左から二人目も膝あてがあることから「五体投地」仕様です
このカットは、この旅の記録を残した私の友人に心から敬意を表して選びました
右端に彼の影が映っています
40年前にたった一人で拉薩へ行った彼は、成都から私に一枚のはがきをくれました
「今成都です。公安へ行ったら、拉薩が開いたようで、
パーミッションもらえましたので明日拉薩へ向かいます!」
私がその夜眠れなかった、たった数行の絵はがき
高知市を襲った1998年の大雨の災害で私はほとんど過去の紙資料やフィルム類を
無くしてしまいましたが、私の記憶のなかでその葉書だけは鮮明に
記憶されています。
もちろん私も1984年に広州、鄭州、ウルムチ、トルファンなどの主たる公安で
何度も拉薩のパーミッション申請を行いましたが、顔色を変えて
「没有」(ない)と言われるか、あきれ顔で知らん顔をする係員迄
いやというほどチャレンジはしてみました・・・これは運ですよね…
拉薩に続いて、私より一足先に逝ってしまった彼を、
今を生きて追いかける私です
そんな彼の旅はまだ半分くらいかな?
まだまだ続きます・・・