1984年に中国一人旅で私よりも先にいえ、

多分個人旅行では誰よりも早く、チベットの拉薩へ行った

友人の1984年の旅日記です。

 

何度も書きますが、中国の一人旅は公安の許可がいる場所があります

公安の眼をすり抜けて、どこへでもうまくゆける人と

開放都市であっても、私がやらかしたように公安にしょっ引かれる人など

道中は様々です

 

どこにでもいるぼったくりや

ホテルで従業員のふりをしてチェックインからツアーの手配などをやる

親切なんだかよく分からない現地人をいかに振り分けて

挙句に利用するに至るか?

様々なテクニックと、経験を試されることは請け合いです

 

私はまず団体旅行で1980年に桂林へ行きました

そして1982年に昆明と石林

1984年にとうとう一人で香港からウルムチまで行ってきました

 

私の友人(後輩)は1983年に当時高知市内にあった

県立高知短大の中国語クラスで知り合いました

彼は私の顔をみるなり中学校の後輩ですと名乗り

そこから長くお付き合いが続きます

お互いが結婚して疎遠になると思いきや

彼はパナマから連絡をくれたり

つい最近まで年賀状のやり取りをしていましたが

2023年の9月に私より早く逝ってしまいました・・・

 

そんな写真は素人ですが、中国へ結構早く入った友人の旅の記録を

彼の生前の想い出として残しておきます

 

1984年の夏ですね

 

香港から 深圳(深セン) へ列車で入った彼

 

中国の年で人口が多い順

2023年現在 北京、上海、広州、深圳

個人旅行者が香港からしか入国できなかった1980年代は広東省の 元来は宝安県として一集落に過ぎなかった 深圳はまだほとんどが湿地帯であったり

川を渡る橋の上で国境がありました 。そこへいきなり現在中国第四の人口を誇る町が

生まれた頃の話です・・・

 

*中華人民共和国には北京市上海市天津市重慶市の4市が省に属さない直轄都市

 経済特区に指定されているのは北京市上海市広州市と深圳

 

広州白雲国際空港に向かう彼

 
*当時の中国南部では最大の空港で 深圳宝安国際空港(しんせんほうあんこくさいくうこう、深圳宝安国际机场)は、1991に出来ています
 

 

 私は全くプータローのバックパッカーでしたが、彼は、公務員と言うお仕事でして

時間を有効活用するために飛行機を使っています。当時の言い方では「スチュワーデス」!

確か中国語では「空中小姐」、日本人ならわかりますね

当時の中国では超エリートと呼ばれてもいいくらいのお仕事でしょう

 

で、桂林へ

針山のような、生け花の剣山のような山に囲まれた町

 

七星公園の駱駝山 

 

当時のガイドの説明では、桂林の山々はすべて切り落としてまっ平らな土地にして

マンションを建てるという話でしたが(1980年の私が聞いた話)

中国有数の観光地になってしまったため、開発は頓挫しています

 

1980年に私は同じルートで桂林へ入っています

ただ一週間後に・・・私の乗った飛行機はドイツ人観光客を乗せたまま

着陸時に桂林の林立する山へ突っ込んで、帰らぬ便になりました

まだまだ飛行機もおんぼろ、でも当時の中国へ行く日本人は

お年寄りが多く、軍務についていたとか、いろいろな理由から

懐かしんでの旅行だったと感じました・・・

 

問題のパンダ飼育員と言うか桂林動物園の飼育員さん

先日アップした

この状態までパンダを出してくれた方ですね

 

うらやましいな~

私は上海動物園で薄汚れたやつを見たものでした・・・

 

桂林の道路ぶち、露天の物売りが並んでいます

学校帰りの子供たち

この子供たちは早ければあばあちゃんですね・・・

 

さて、いよいよ漓江下りの始まりです

 

私もここを通りましたが現在は別ルートで、ここら辺のホテルや土産物屋などは廃墟です

 

中国の開発はめまぐるしく

それに群がる人々はまさに博打打のような感じです・・・

 

いよいよ船に乗って川下り

 

 

 

よく見慣れた風景ですが、このような山が桂林を一躍有名にしました

 

 

 

これは中国となじみのある谷村新司さんの詩で作られたCMです

中国ブームがやってきたわけですよね

サントリーもあとに続きます・・・ものすごい数を中国ロケしていますよね

 

良い時代でした

 

すでに中国人の服装もこんな感じ

 

1980年頃には買えた、人民服が帽子以外は買えなくなってくるころです

 

*彼は写っていません

 

これらの写真はネガカラーで写されていますので変色が激しく、一部簡易的に

修正しています

 

2008年に私が訪れた桂林ですが、漓江下りはせずに

町を迂回する幹線道路の大きな橋へバスを止めて写したものです

 

撮影ポイントとしてはレアな場所だと思います

 

竹の筏がまだ現役!

 

アヒルの群れですが、私が岸に立っているので巣へ帰れないのです

右の桟橋のような物が竹の船ですね。

 

2008年の写真はNikonD700 24-85mm、私が一番中国へ持ち込んだデジタル一眼です

 

続く