Le Garcon Chinois(ル ギャルソン シノワ)

フランス語で「中国の少年」とか「中国のウエイター」という感じ?

 

中国の事を 「支那(しな)」と言ったりする方がいます、

日本では「志那そば」とか、「東シナ海」

中国の国名を外国語では英語でChina(チャイナ)、

フランス語ではChine(シーナ)と呼んでいますので、

*Chinoisで中国人

シナを差別的だとか、そうお考えでしたら日本の地図を

書き直す運動から始めなくてはなりませんね・・・

諸説ありますが

「シナ(支那)」ということばは、中国古代の王朝の一つ「秦(シン)」

が語源といわれ、英語の「チャイナ」も同じ出所だとされています。

また、元・東京都知事の「シナ」発言があって

差別的だという言葉にされていましたが

元・都知事発言は文脈からも明らかに軍国主義時代の差別的な「シナ」

であって、私は違和感を覚えました!

いっそ、ぜひ日本の地図から東シナ海を消しましょう

東シナ海(ひがしシナかい、東支那海)を東中国海、(East China Sea) 

とする地図もありますが、中国側の地図では [中国東方海域]东海Dōng Hǎi. 

となっています、その先に日本があるのでいずれ

台湾のように本土の属州だと言われそうな勢いです

 

あ、話がそれました

高知市菜園場にある、バーなのか?レストランなのか?

という感じなのですが・・・

 

私が上海が好きだということもあって

気にはなっていたのです。

中国の大連で3年、上海で16年ほど大きなフレンチのレストランと

日本料理店を経営しておられたオーナーが

生まれ故郷の菜園場に帰ってきて5年位前かな?

開店されました。

上海の同名店は、まさに昔のフランス租界地区にあり

私のような貧乏旅行者がおいそれとは入れる店ではなかったのです

上海博物館と静安寺の真ん中、南のあたりだったかな・・・

 

実は辛亥革命の立役者「孫文」の奥様「宋慶齢」の住居を訪ねて

ここら辺は、歩き回っていたのでかなり土地勘があります

上海で活動されている写真家の海原さんからのブログ繋がりで

やっとそのお店に飛び込むことが出来ました。

 

ああ、なんで上海で行かなかったのか?

覆水盆に返らず、これは後悔してしまいました・・・

 

まあ紆余曲折で今に至るわけですが

 

 

二階へ行く階段途中に

ポスター貼っていただきました

 

感謝に耐えません・・・

 

どうして上海に惹かれるか?

それは私にも判りませんが、最初の一人旅の終わりが上海だったからかも?

1984年の初夏の頃でした

浦東にはまだ建物すらなかった・・・たった40年で世界有数のビルが林立

F1やらディズニーランドやら、私にとってはうたかたの夢ですね

 

またまた長居をしてしまい、日付が変わる寸前に帰宅

いやー美味しい食事に、楽しい会話

 

旧知の友人との再会を果たし、時を埋めるような時間でした