TELYT-V 200mm F4というレンズは
レンズマニアでもあまり人気が無いレンズ
レンズ沼の下層、複雑怪奇なライカ沼の
さらに「ヴィゾ層」と呼ばれる(嘘です勝手に命名)
メタンガスも湧こうかというレベルのレンズです
ヴィゾⅠ型用のレンズですが
39mmのマウントですがそのままではライカバルナックでもピントは出ません
その話は置いておいて
このレンズをどうやって現代デジタルミラーレスへ使うか?
ミラーレスではなく一眼デジカメにも十分使えますし、使っています。
まずライカ純正のヴィゾⅡ型(通称Mヴィゾ)用Mマウントへ転換するリング
16466を探します指をさしている部品です
ちょっと話がそれますが、指をさしている16466についている
銀色のボタンで(指先が触っています)
レボルビングができます。したがって回転式三脚座として使えますので
レンズを選びますがライカの125mm135mm200mm280mm400mm
が同様にカメラを縦位置で使うときに雲台で縦横の切り替えを
しなくていいという嬉しいおまけまでついてきます
話を戻します
16466でライカM-VISOマウントへ変換できますから
私はそこからCANON EOS一眼マウント(CANON-EFマウント)へ変換し
さらに
Fringer EF-FXⅡ
(Canon EF Lens to Fujifilm FX Mount Auto Focus Adapter)
でX-T3へ付けています
この
TELYT-V 200mm F4というレンズですが
初出は1936年で1960年まで生産された
TELYT 200mm F4.5の改良型です
*この当時はMマウントがまだ発売されていませんからTELYTと言えば
すべてVISO用レンズだったわけです
数年だけ重複しますが
1959年に
TELYT-V 200mm F4として開放F値が4に明るくなり
マウントはVISOⅠ型のL39(通称バルナックマウント)のまま
1968年まで生産されました
私の所有している個体はTELYT-V 200最終型と呼ばれる
全体が黒色で統一されたモデルの1967年製造分です
*1967年に544本67年に616本だけ作られます
ライカのレンズでもたった1160本しか製造されていませんが
人気が無いので、オークションなどで出ても格安で入手できます
だから1959年モデル(同い年レンズ)の出物があれば
衝動買いしそうなレンズです
何本か買っては売りを繰り返しましたが
どれも外れはありません、一番きれいだったこれを残したにすぎませんが
イメージサークルが大きいのでフィルムの645や6x6サイズでも使っていました
TELYT-V 200で撮影した周辺部を100%の画像補完無しで切り出します
陽炎で電柱が揺らいでいますが
コントラスト、解像力、尖鋭度、すべてが満足させてくれる写りです
この柱の左右に全く色付きが無いのが今回の驚きです
めったに使わない焦点距離なのでほとんど死蔵状態
でも売るには忍びない、隠れ優秀レンズ
クラスで目立たないんですが、いつも成績優秀で
あまり社交性もなかった影の薄いやつが、卒業後
気が付けば学問の分野で人知れず大成功していた・・・
そんなレンズです。
最近のデジタル時代のレンズでも
こういう撮影では柱の際に紫の色付き
「パープルフリンジ」が、見られるものが多いですが
大概がカメラ内包のソフトで封じ込められたりしています
半世紀以上前に設計された(初出は1959年)レンズが
これほどまでの高性能だとは自分でも思ってもみない事でした
たまたま複数のレンズで同じものを写していて気が付きましたので
明日は、高額なレンズでも「パープルフリンジ」が出まくる!
そんな画像を検証してみたいと思います。