【補筆再々掲載】八木重吉さん(わたしが好きな詩人) | いいんです、これでいい

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わたくし蘇武(ソブ)は2018年4月から詩を書き始めました。今は、ふと思いついたときに書く程度。いいんです。それでいい。
※思うところあって、2023年5月10日より「蘇武 家人」から「蘇武 羊」に改名しました。いいんです、これでいい。

2020年4月のちょうど今日、30日にこの記事を書きました。

 

趣味の詩作は年がら年中スランプで、

 

「なんでこんなに趣味で苦しまなければならないのかなー」

 

と思うこともあります。

 

その度に、憧れの詩人、尊敬する詩人のことを思いながらパソコンの前に向かったりするのですが、以下の記事はそんなときの思いをしたためたものです。

 

ほんの少しだけ手を入れて、ここに再々掲載します。

 

 

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2019年の3月に、この元になる記事を書いています。

 

(※そしてこの記事は2020年に書きました。2023年補筆。)

 

今の気持ちが、その記事を読み直していて、「書き直すと現在の心情に近くなるな」と思いましたので、加筆して、改訂版として掲載いたします。

 

いつものことですが、詩が思いつきません。寝ていても起きていても、です。

 

詩作に行き詰っている今、何も無いところから何かを生みだしてやろうともがいている自分がいて、それは己の「かっこつけ(えーかっこしー)」が起因しているものだということがわかってはいるのですが、それを乗り越えるだけの気力が出ません。

 

こういう時には、「原点に立ち返ってみる」ことが重要だということをよく耳にしますので、じぶんの詩作の原点とは何かを過去に遡って考えてみました。

 

すると、特に深いものはなかったことに気付き、なお一層悪循環に陥ってしまいました。

 

ただ、事実としてあったことは、中学三年生の時に、草野心平さんの「秋の夜の会話」に触れ、詩を読むことに目覚め、その草野心平さんから与謝野晶子さん、高橋新吉さん、萩原恭次郎さん、中野重治さん、小野十三郎さん(順不同)など、ひと昔前の詩を、ジャンルを問わずに読み漁りました。

 

そして、一度だけですが、学研から出ていた学習雑誌「中三コース」の詩の投稿欄にろくな推敲もせずに、学校から原稿用紙をもらい、拙い作品ですが書いて送ったところ、さすがに作品は載りませんでしたけれど、佳作になって名前が載ったことがありました。

 

その時の選者が詩界では有名な、詩人山本太郎さんだったのですが、わたしには、掲載してある写真からしてただのおじさんとしてしか理解していませんでした。非常に勿体ないことをしました。もっとたくさん投稿すれば、何かしら得られるものがあったのではないかと。

 

しかし、その頃は吹奏楽命、クラシック音楽命で、詩のことなど微塵も考えずにブラスバンドの活動に没頭していました。その趣味は音楽鑑賞という形で今日まで続いているので、それはそれでよかったなーと思っていますが。
 
話は戻りますが、中学生の時だか高校の時だか、確か国語の教科書に載っていたんじゃないかな、八木重吉さんの「春」という詩。これを読み、心を動かされました。
 
八木重吉さんの「春」を題名にした作品はいくつかあるのですが、その中で「桃ちゃんいい子 いい子うよ」と歌っている詩に感動したのでした。
 

ただ、一篇が非常に短く、わかりやすい言葉でしか綴られていない八木重吉さんの詩を、幼稚だのなんだのと嘲る人もいるようですが、読む人を置いてけぼりにする、現代詩を標榜する筆先だけの詩なんかより、ずっとずっと深く、重い思いが込められた、まさに命の詩だと私は思います。

 

八木重吉さんは結核のため、29歳の若さでこの世を去りましたが、この詩に出てくる愛娘、桃子さんも、父の死から10年後に、同じ結核という病で亡くなっています。

 

このことは、ずっと後になってから知ったことですが、何でこの父娘に神様は、こんなに悲しい運命をお与えになったのだろうか、とわたしはとても悲しくなりました。

 

 

 

 

母をおもう


けしきが
あかるくなってきた
母をつれて
てくてくあるきたくなった
母はきっと
重吉よ重吉よといくどでもはなしかけるだろう

 

 

 


桃子
とうちゃんはね
早くくなってお前と遊びたいよ

 

 


ほんとによく晴れた朝だ
桃子は窓をあけて首をだし
桃ちゃん いい子 いい子うよ
桃ちゃん いい子 いい子うよって歌っている

 

 

 


まして
自分のからだの弱いこと
妻のこと子供達の行末ゆくすえのことをかんがえ
ぼろぼろ涙が出てとまらなかった

 

 

 

(以上、青空文庫より転載。『貧しき信徒』https://www.aozora.gr.jp/cards/000013/files/542_42320.html

 

 

 

これらの作品を読み直し、もっともっと詩作に自信を無くしてしまいました。
 
自分の詩には、命がかかっていないと。
 
別に、生き死ににこだわることはないのですが、それにしても魂が込められていないなと。