安保・災害・結婚 そして・・・。 | 全く意味ない元店長日記

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さて、なにすべか・・・。

世の中には・・・

どうにかなりそうでどうにもならないこと。

本当にどうにもならないこと。

本当はどうにかできることの3つがあると思う。


例えば災害。今回の大雨で地元の全市民の3分の2に避難指示がでた。

実際に非難した人。しなかった人。しようとしたけど止めた人。

それぞれの判断や事情があろう。

そして、時にその判断が生命を奪う。

ま、判断が命に関わるの災害だけに限らないわけだが。

ただ、僕は基本的には自分の命を守るのは自分自身だと思う。

青信号で交通事故に逢えば法律的には過ちではないが、正しくたって失くした命は帰らない。

自分に責任がなくたって被害を被るのは自分だ。

だからこそ「備えあれば患いなし」が大切だと思う。


安保問題も世間を騒がせてしばらく経つが、僕は賛成でも反対でもない。

しかし、申し訳ないがデモをする人たちに共感はできない。

ぼくは「戦争法反対」と言うシュプレヒコールには辟易とする。

それは「嘘」だから。

きちんと「安保法案」と言うべきで、そこには国民をミスリードしようと言う邪推が見え隠れする。

確かに、この法案が成立し、日本が他国のために戦闘行動を行えばその報復として巻き込まれる可能性は高くなるだろう。それは免許を取れば交通事故を起こす可能性が運転しないより高くなるのと同じである。

個人的には第二次世界大戦を土台に今後の国の防衛の在り方を判断すっるのは間違いだと思っている。

あの敗戦から学ぶべきことは唯一つ。戦争を自国から仕掛けてはならないと言う事だろう。

9条で一番尊とばれるべきは「専守防衛」ではないかと思う。

交戦権の放棄は美しい話だがそれでは守れないだろう。

成功体験や失敗体験に囚われる過ぎれば冷静な判断力を失うことになりかねない。

今は今はだ。

安保改正法案は適法かどうかを置いて、これは「備え」の為の法案だ。

日本は戦争に負け国軍を持たず自国(自衛隊)だけでは守り切れない状況になりつつある。と少なくとも国は考えている。だから、多少のリスクを払ってもいざ敵が攻めてきた時には一緒にアメリカに戦ってもらえるようにより協力関係を強化するのが目的だ。もちろん戦後アメリカほど戦争をしている国はない。しかし、それだけ実戦を経験している。アメリカ軍は同盟国以外にとっては脅威であり、だからこそ抑止力にもなる。両刃の剣だ。

そして、自分から仕掛けなければ戦争に巻き込まれない。アメリカ人の血は流れても自分たちの血は流したくない。これは平和ボケだと言える。世の中は戦争の方向へと間違いなく向かっている。ようするに、どれくらいの事態を考えて備えをするのか?そしてそれに伴うリスクは許容できるものなのか?ということでしかない。


高い壁を作ればそれだけ高い津波に備えることができる。しかし、100年200年或はそれ以上に1度あるかないかの為に毎日見える景観を犠牲にしていいのか?その判断は人それぞれであり、どちらのリスクを選択するのか?と言う問題だ。

アメリカに加担してテロの標的となり得るリスクを回避するのか?それとも次戦えば日本そのものを失いかねない戦争そのもののリスクを回避する道を選ぶのか?

国はそういうリスクを隠そうとするし、デモをする人たちはそういうリスクに目を瞑ろうとしている。

70年間戦争がなかったからと言ってこれからも起きないとは言えないのに。それは東日本大震災や原発事故、今回の堤防決壊も同じことだ。誰も昨日までは起こるとは思っていなかったし、そしていつでも起こってから備えるから間に合わない。


それは普段の生活でもそうだ。最近と言うか今年はやたらと芸能人の結婚が目に付くけど、結婚は一体何のためにするものなのか?家庭を築くとはどういうことなのか?どんなリスクがあってそのリスクは何と引き換えに払うものなのか?それに見合うものなのか?夢も何もない言い方になってしまうが、お互いがお互いの人生を背負い、時には新たな人生を生み出すのだから、きちんと向き合わなければいけないことだと思う。誰でも幸せになりたいと思っている。しかし、それはただ思っていたり、願っているだけでは決して叶わない。ジュース1本だってただでは手にできない世の中だ。必ず対価をしはらわなければならない。もちろんただでジュースをもらえる時もある。しかし、それは対価としてお金を払っていないだけで、どこかでそれなりの対価を支払っているはずである。


情けは人のためならず。今の世の中はリスクを積極に背負うとせず、回避することにばかり躍起になっている。つくづく思いやりがたりない時代だなと思う。寛容さが足りない時代だ。それは世の中が時代が変わったのだから仕方のないことなのか?それが幸せとかけ離れた世界を招くものだとしても、それを時代と受け入られるのか?それともデモでもして訴えるのだろうか?


ぼくは安保法案の存在そのものに昔から(この法律を知った時)反対だ。しかし、この法案は確実に成立してしまうだろう。なぜならここが彼らが目指してるゴールではないからだ。しかし、成立したあとでも撤回を求めてデモを続けてくれるのであろうか?現代ではデモを起こすような状況になってからでは残念だが手遅れだ。デモに参加するくらいなら、まずはきちんと選挙に参加すべきだ。僕らはその1票で僕らの民意を表すしかないのだから。

もし、若者の投票率が80%を超えれば政治はきちんとこちらを意識して向くはずである。そうじゃないからお年寄り向けの政策ばかりになる。


と、たまには自分もワイドショーなどを見た「個人的」な感想を述べてみました。

備えあれば患いなし。転ばぬ先の杖。先人たちはきちんと教訓を遺してくれている。財産だ。